データの時代,都市をみる力
羽藤英二
ロンドンのトラファルガー広場や,バルセロナのゴシック地区で繰り広げられる様々なドラマこそが都市の魅力そのものです.都市計画家なら,そこからどうやって,都市の問題の本質を見つけ出せばいいのかと悩むでしょうし,交通計画者であれば,問題を見極めた上で,魅力的な交通空間をデザインしたいと思うのではないでしょうか.それほどまでに,都市における人々の行動は動的であり,その規範は多様であるといえるでしょう.
「人の行動を観測し分析する」
このことを都市計画や交通計画の出発点とすることは,都市を巡る問題の諸相の複雑化,多相化を考えた場合,比較的素直なアプローチのように思えます.もちろん,もっと「直感を重視した計画を」という言葉にも一理あるのは事実ですが,果たして複雑な問題に単純な解決を迫る,そうした知的無邪気さで都市における複雑な問題の解決は果たして可能なのでしょうか.
都市計画や交通計画の分野において,観測に基づいた定量的な計画手法がこうした分野を見通しのいいものにしていったことは間違いありません.1953年のDMATS,1954年のCATSと続いた都市総合交通計画における手廻し計算機を用いた四段階推定法の採用は,高度な確率的意思決定モデルへと発展し,サンフランシスコのBARTの需要予測は,実際の観測データと「確率的な」意思決定モデル(ロジットモデル)を用いて大きな成功を収めたことで,2000年のノーベル経済学賞を受賞しました.
「確率モデルとその解法」
こうした方法の基礎は「確率モデルとその解法」にあります.一見すると複雑な理論のように思えますが,実際に意思決定構造の枠組みに何らかの仮定をおき,実際の観測データを使って,パラメータリゼーションを行い,因果関係を明らかにすることは寧ろ素直なアプローチだといえるでしょう.
こうした技術は21世紀に入って,さらに劇的な進化を遂げます.その大きな理由は,digitize革命によるデータ爆発や,パターン認識(pattern recognition)や機械学習(machine leaning)といった理論の新展開にあります.センサー革命やネット環境の急速な普及が,現実空間の様々な諸相を急速にデジタルデータ化しており,そうしたテクノロジードリブンな環境が行動分析の下敷きとなる基礎理論の進化を急速に後押ししているのです.
広場に設置したカメラデータを用いれば,空間の利用形態や動線解析を行うことができますし,こうしたデータを用いることで空間設計へのフィードバックが可能になります.かつてはアンケートで訊ねたり,直感に基づいて行われきた私たちの分野の方法論に大きな転機が訪れているといってもいいでしょう.
人の行動観測における時間と空間の観測分解能はGPS携帯電話や画像処理技術,ウエブなどの技術によって飛躍的に高まりつつあります.オンラインでこうしたデータの入手が可能になるということは,高精度なデータを既存の理論に当てはめ,確率的な行動モデルの再現性の向上を図ることが可能になるとともに,高速道路のインセンティブ/プライシングのオンライン制御や空間マーケティングのようなデータオリエンテッドな方法論への期待が高まっているといえるでしょう.
ここでは,特にガウス分布を中心とする確率論の基礎について,線形回帰モデルや次元の呪いといったデータ解析につきものの問題を通して学びます.確率モデルの推定法についてはベイズの方法を中心にした近似解法やカーネル法,MCMCにおける乱数の取り扱いなどは確率モデルによる実務や研究を進めていく上で必要不可欠といえるでしょう.さらにk-meansを中心に射影変換を基礎とした高度なクラスタリング/識別モデルの方法について,移動軌跡の識別に有効なパーティクルフィルタや潜在クラスモデルなどの技術を通して整理していきます.ニューラルネットワークやグラフィカルモデリングでは,n-GEV系モデルに通じる誤差伝播やネットワークプロパゲーションのための基礎を勉強します.
データに潜むパターンを見つけ出すという問題はそもそも,長い歴史を持つものです.16世紀,ケプラーは膨大な天体観測データに基づいて天体に関する経験則を導き出しましたし,近年のバイオインフォマティクスの展開は,HMMなどの技術を下敷きにしたものであることは間違いありません.科学の進展には観測技術の進展が常としてあり,それに応じて理論が新しい展開を見せることで,私たちは見える世界は大きく広がってきたと言ってもいいでしょう.
「今,私たちに何が見えるでしょうか」
十人一色といわれた高度経済成長時代の個人の行動パターンは,都市の進展と成熟により十人十色から一人十色に変化したといわれています.都市空間において多相化していく個人の行動パターンと向き合うとき私たちにいったい何が見えてくるでしょうか.
縮退の時代,地域の時代,地球環境の時代と,様々な言葉でまちづくりのフレーズは消費されていきます.そうした時代の移り変わりとともに,地域の文化や経済,人々の興味や行動の表出のしかた,顕在化の様相も大きく変化していくでしょう.そんな中でそうした見た目の変化に惑わされることなく,普遍的な人と都市との関係性を見つめることは容易ではありません.しかし,そんな中でも,私たちは都市における人々行動の諸相についてのよりよい理解を下敷きにした,善き都市計画や交通計画を考えていきたいと思うのです.この合宿を通じて,都市空間におけるデータ革命がもたらす計画論への大きな新展開について考えるための基礎理論を正しく学んでもらえたら嬉しいです.
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参考文献
- ダービン,R., バイオインフォマティクス,医学出版, 2001.
- 佐佐木綱,交通流理論,1965.
角栄と龍馬:intellectual innocence
羽藤英二
小学生の夏休みの宿題で田中角栄の研究というのをした覚えがある.田中角栄はこんなたとえ話をしたらしい,一本の川が流れている.上流と下流に町がある.二つの町の代表が橋を架けてくれと言ってきた.そのときどうするか.
㈰調査をしてより必要性の高い方に橋を架ける.㈪そのうちにと言い続けて何もしない.㈫無駄だと思っていても二つに橋を架ける.
田中は3番目の案を選んだ.費用便益分析をすれば結果はどう出ただろうか.貧しさの中から出て,「土方というが,土方はいちばんでかい芸術家だ.パナマ運河で太平洋と大西洋をつないだり,スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのもみな土方だ.土方は地球の芸術家だ」という田中の言葉には個人の主観に訴えかける独特の説得力があった.日本人の多くは田中が大好きだったし当時の私もまた皮膚感覚に溢れる田中の言葉に惹かれた.
日本国中に道路を造り,海を生み建てて国土を造成し,産業を振興させ,庶民に豊かな暮らしをさせたいというのが,田中の政治家としての理念と政策である.僅か34歳の頃,「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」で,ガソリン税を道路建設の財源にするというおよそ当時としては考えられない常識破りの法案を発案し通した.苦労人の田中が、自分の体験のなかから、幸せとは何かということを考えそこか育まれた気宇壮大な夢であり,そこに日本の「社会システム」が見事に結びついた.
マリウス・B・ジャンセン「坂本龍馬と明治維新」を読んでいると,明治維新の頃の志士の精神の発展段階におもしろい記述があった.ジャンセンによれば,多くの志士たちが三段階の精神発展を経ることで,大いなる明治維新はなったとのこと.
精神的発展の第一段階として,武力の醸成がある.坂本龍馬であれば,千葉道場で武力を磨くという段階である.田舎から江戸に出てきた坂本が只管剣の道を磨き,山内容堂が見守る武道会で優勝を修めることで,彼の中が天下に知れ渡る.ここまでが第一段階である.
第二段階は原理主義的に単純な宗教的イデオロギー(攘夷論)の習得である.自己の道徳的優位性に対する陶酔に近い確信をもって,知的無邪気さ(intellectual innocence)で複雑な問題に単純な解決(simple solutions tocomplex problem)を迫る.というものである.
最終段階は,悲憤慷慨(ひふんこうがい)の常道主義と蒙昧主義から合理的具体的な対外態度への脱化である.勝海舟の説得と出会いの幸運と経験が彼の尊大と衝動主義,英雄主義を戒め,複合的で複雑な解決法の模索をもたらした.大いなる明治維新はここに成ったとえいよう.
翻って田中の手法論をこの精神発展理論に当てはめてみよう.第一段階では土木屋としての田中,第二段階は土木が世界を救うという考え方でブルドーザーのように法案成立に賭けて突き進んだ田中はこれに当たるかもしれない.しかし,こうした精神的発展段階は何も田中に限った話ではない.道路不要論や単一施策の遂行が全ての問題を解決するといった単純な論説を振りかざす人は,案外自分の周りにも多いように思う.
日露戦争終了後,小村寿太郎にバイカル湖まで取るべしと論じたのは朝日新聞である.今となっては呆れる他ないが,カタルシス溢れるこうした言説は確かにひとつの批評としてはおもしろい.日本という国はいかにもこうした「空気」で動きやすい国であることも間違いない.しかし改めて「然し」と思わぬものだろうか,と思う.
土木や計画を巡る近年の論説を聞くとき,知的無邪気さから複雑な問題に単純な解決を迫る姿は醜悪だと思う.英国の非原理主義,米国の合理的思考を目の前にしたとき,日本人としての豊かな精神性の発展を願わずにいられない.しかし不思議なことに,今でも田中の言葉には惹かれないわけではない.なぜだろうか.彼が自分の手足を動かして発破を仕掛けた山奥のトンネルの工事現場だったり,絶望的な雪が降りしきる故郷の村で彼自身が皮膚で感じた生々しさが,彼の単純な言葉に残っていたせいだろうか.
(計交研会報2008.10に加筆修正)