対談集です.(工事中)

羽藤×黒田×大程×宇佐美×濱上×浦田

大程

私は雑誌という媒体で地域づくりなどいろんな活動取材の仕事をしてきたんですが,やはり、伝える側が、感動したり、面白いと思ったことでないと地域の良さはわらないと思います。地域に住む人たちには当たり前のことでも、他の地域ではあたり前でなくすばらしい文化がたくさんあると思います。まずは、それを自ら楽しんで体験してみて、身近な人たちへと伝えていくその輪を徐々に広げていければいいなと思います。

羽藤

しまなみで,水軍レースやシーカヤックを存分に楽しんでいる大程さんらしい感覚です(笑).取材する側がこう伝えたいという予め用意した型に無理やりはめてしまうとなんだかつまらないことになるということでしょうね.ラジオの場合はどうですか?

宇佐美

地元の人たちのインタビューを現地でたくさん録っていたのは、とてもよかったと思います。スタジオでしゃべるのとは全く違う温度ですよね。島の人たちが「”いまはる”はね、」と言っていたり、「昔はにがかなかったんよ(にぎやかやったんよ)」など、土地言葉が生きていたし、「橋通りよる車の数かぞえたりしよんよ」なんていうおば(あ)ちゃんのリアルな話もあったり。(笑)「小さい時から見ている”八木邸”にはぜひ入ってみたい」などという思いは波止浜という土地ならではなんでしょうね。住んでいる人じゃないとわからない情報や感覚もたくさんあっておもしろかったです。

羽藤

言葉ってのは場所に埋め込まれたものなので,地元について話してもらうっていうのは,そういう感覚がふわっと浮かび上がってくるかんじがありますよね.

宇佐美

そういうふわっとした何か、いいですよね。ローカルの番組づくりとしては、こういうものをもっと拾っていきたいと思いました。音楽や、アーティストといった地域文化という視点についてですが、その土地の風景、文化、産業に根付いて創造されたものは、オリジナリティも確立しやすいですし、説得力がありますから、番組で出てきた材料も使いながら、そういうものをクリエーターと一緒に作って、ストーリーだてして放送していくというのもおもしろそうだなと妄想しています。

羽藤

たとえば大島のパン屋さんで夜半から石釜で焼いた煙が海に向かってたなびいて行くような生活景だったり,来島海峡の潮の流れの具合だったり,さりげない日常の風景は別にとりたてていうほどのことはないけれど,やっぱり心に残る.で,そいうなんてことのない日常の風景を地元出身の野間仁根さんは絵に描き残していて,ああいう瀬戸内の朝日の絵なんかは兎に角鮮烈で,見てるとなんだか泣きそうになる.

黒田

私が紹介してあげた絵ですね.野間仁根さんの絵は私は本当に好きだな.

羽藤

夏の学校のときに龍神社で地元ミュージシャンの仙九郎が昔の波止浜で謡われていた民謡を採譜して演奏してもらったじゃないですか.あれは本当に心に染み入るような気持ちになった.アーティストっていうのは感情を増幅させるように表現しているのでしょうけれど,ラジオを生かしながら,しまなみの風景の中で何かストーリーだてた創作活動そのものを番組にしてくというのはとてもおもしろいと思います.アーティストなんていうと特別な気もしますが,風景を下敷きにしちゃえば,案外多くの人が共感できるものではないでしょうか.

宇佐美

仙九郎さんの歌はよかったですね。あれは、龍神社という場所性もあったのだろうと思います。風景を下敷きにした、というのとは少し違うニュアンスかもしれませんが、風景との組み合わせがいきていたと思います。

濱上

僕たちが風景づくり夏の学校でやった風景美術館に地元のアーティストが参加してくれるとおもしろいと思うんですよね.表現するっていうのはなかなか一筋縄ではいかないし,だからこそにわかパーソナリティの僕らが苦労していたわけでうかつなことはいえないんだけど(笑),でもおもしろいと思います.

羽藤

学生の立場で,苦労しながらパーソナリティをして伝えたいことは伝えられたんだろうか.あるいは伝えるべきメッセージっていうのにリアリティはあったんだろうか.

浦田

4月からの第2シーズンはしまなみの風景を取材するという回はなくて、子供たちとの活動内容やそこで感じたこと・感じてほしかったことを話したり、波止浜の方の地元への思いを聞くというものが中心でした。僕のなかでは、波止浜の長老の寺尾さんが話してくれた、波止浜湾から来島の松を眺めるのが好きだったけれど、だんだん減ってきてさびしいという話や、塩田がなくなっていく時代はそれを当然と考えていて、特になにも思わなかったというのは、その土地に住んでいる人ならではの意見で、とても感心しました。振り返ってみると、僕ら、子供たち、地域の人といろんな人の口から波止浜やしまなみの歴史が語られていたと思います。それはもっともっとこの場所に注目してほしい、風景も歴史もすごいんだよという気持ちからだったと思います。でそれは、羽藤先生や黒田さんの気持ちが乗り移ったのかなとも思います(笑)。

濱上

確かにすごいんだよっていう空気は,いろんなの地元あの人の語りからも伝わってきたよね.

浦田

何を一番と言われると考えてしまいますが、、「守るべきものがここにある」ということでしょうか。活動全体がそうだったと言えますが、今までの色んなことが積み重なってできている場所ってすごいなぁと波止浜で風景を見て、話を聞き、歴史を学ぶ中で感じて、それを伝える中で、本当に残せていけたらなと思いました。十分伝わったか、ラジオの手ごたえというのは、なかなかわからないけれど、時には熱く語る中で、興味は引けたんじゃないかなと思います。

羽藤

残すっていうのはポジティブな残すなんですよね.

浦田

そうです.

羽藤

遺産なんていうと最近は負の遺産,とかあってもらって嬉しいことだけでもない.実際,今治でも今の古い人たちはきっと「大丸」に楽しい思い出があったと思うんだけど,大丸の撤退が決まって,常磐町界隈の商店街の昔の記憶につながる手がかりのような風景だってどんどん喪失していく.でも,そういう風景の中で生業が成立していないものを無理やり守って街並みだけ残してどうなんだろうと思わないでもありません.サイサイキテ屋で公開放送をみんなでやったときも旧い写真の周りに人は集まるし,懐かしんでもくれるのだけれど,ではその先,どちらに向かえばいいんだろう.という思いがどうしてもある.

浦田

いやでも,あれは結構成功だった.すごくたくさんの人が集まって,風景遺産の 投票に参加してくれました.

羽藤

えーと,要するに守るだけではダメなんじゃないかということも同時に強く感じたということかな.結局,このラジオで何度も取り上げましたが旧八木亀三郎邸に今日的な価値をつけ加えてどのようにリノベーションしていけばいいか.あるいは今治全体をどうしていく,そのために私やあなたという個人がどう行動するのかという話になってくるんじゃないかと思います.だんだんこうやって話してくると生々しすぎて,なかなか答えは出ないのですが.

黒田

「大丸」の撤退は以前から言われてましたが、現実になると、思うより市民の動揺は大きく、何かに見捨てられたかのような気持ちになっています。確かに、風化しつつある商店街を存続させる意味はどうなのかと思いますが、無理に山を崩して、新しい街をつくり拡散させるのはどうでしょう?私は原点にもどり、港を中心として街の再構築に努力していくほうが、今治の資源をより有効に使えるだろうし、近接する商店街へも波及する可能性があると思います。

濱上

山よりも,海って感じはしますね.だって今治なんですから.

黒田

そう.で,そのためにはもっと市民が声を上げ、十分な話し合いの場を持ち、今治の未来の基本コンセプトを持たなければいけません。それに伴い市民の意識の高揚と希望が生まれてくるのを期待します。交通から交流へと港周辺に賑わいを取り戻す、もっと真剣に水辺空間を創造すべきと思います。港を拠点として島々を結んでゆく、そんな中で八木邸のような壊れ去っていきそうな貴重なものを拾い上げていくと、自ずとそれらの活用法がでてくるのではないでしょうか?羽藤先生はどう思われますか?

羽藤

今治をどうすべきかといわれれば,それは当事者である市民の皆さんが考えるべきです.これが第一原則です.それから守るべきものをみつけたときの人間というのは強い.使命感を人というのはどこかで欲しているのではないでしょうか.問題は何を守るべきか.という問題です.このラジオタイトルにはそういうメッセージをこめたつもりです.旧八木亀三郎邸であり,今治の地の遺伝子とでもいうべき海へつづく歴史でもある.そういうものを理解した上で,何かすることがあるのかといえば,僕は正直すごい建築物を建てたいなんて欲求はないなので.

浦田

なんか意味ありげだ.

羽藤

今治なんだからやはり街のあちこちで海の匂いが残っているような街に「戻していきたい」と思う.人口も減ってくるのだから街をだんだん元の海に戻していく.そのためには港は港を点としてとらえてはダメで,海からの風が吹きぬける路地や,細い川,生活景が垣間見える銭湯であったり,商店街の饂飩屋だったり,ああいう味わいのある懐かしい雰囲気がゆるやかにつなげていかなくちゃいけない.バルセロナやバンクーバーの港と一体化しつつも旧市街地へと誘う歩行者動線のデザインは見事です.もちろん海側の動線(航路)も考えないといけない.仕掛けとして「多孔質化」というか,スポンジのように旧い町の中に孔をあけて,ほっとする空間を海に向けて連鎖させていく.大きな構造物に投資するより,人の動きがある小さな空間の連鎖に注目する方が重要なのかもしれない.

濱上

スポンジみたいに水がたくさんたまるスペースがあいてて,しぼればイッキに流れ出すみたいな?

羽藤

そう.動きがある小さな空間っていうのはたとえば若い人が集まるスタジオでもいいし,ラヂバリさんでもいいと思いますし,美術館やアトリエのようなものでもいい.そうしてはじめて街のネットワークが血管のように機能して血液が流れ出す.そういう動きのある空間を連鎖させながら海からのネットワークをゆっくりつなげていく「プログラム」が必要だと思う.最初にドカンと起爆剤的な建物を作るというのはたぶん違っていて,そいうことではない.正確にいうとそいうことでもいいのだけど,やっぱり順番があるじゃないかと思います.順番っていうのは何かというと,,濱上君と僕はもう3年間一緒に四国中のいろんな街で風景づくりみたいなことをやってきたんだけど,どう思いますか.

濱上

もう3年も経つのか,いやまだ3年か,そんな感じですが・・・.研究室に入って突然「松野町に行ってきてください」と言われ,僕の中の風景づくり活動が始まりました.完全に受動的なスタートです.ただ,それが必ずしも悪いとは思わない.地域づくりにしても同じようなことが言えるのではないか,そう思うんです.受動でも良い.ただそこで何を感じて,何を考え,「やるんだ!」と思えるかどうか,転換できるかどうか,そういう”人”が出てくるかどうか,そこに尽きると思います.

そういう風に持っていくには,建物ドカン,,,というよりも,もっと地に足の着いた,例えば目の前の田んぼであったり,酒蔵であったり,そういった地域の資源をうまく活用しながら,人々の集まれる”場”というものを整備するほうが住民の方々は関心を持ってくれるのではと思います.普段見慣れているなんでもない風景,だからこそ住民の方は気づきにくいのだけれど,その風景が失われて行くということに対しても無関心でいるというのはとても寂しい.だからこそ,外者である僕達が地域の,何かの,きっかけになれればと思った.住民の方々との対話の中で自分がこの風景の中で感じたことを話したり,小学生達と地域を歩きながら俳句を作ったり,絵を描いたり,笹舟流したり,また皆で灯籠を作って畦道に並べてライトアップしたり,田んぼの中で音楽祭やったり...と一見それをやってどーなるの?といった活動ですが,そういったことから地域への関心,愛着っていうのは生まれるんじゃないだろうか.そして愛着ってのが「やるんだ!」っていう気持ちを起こさせるんじゃないだろうか.

実際3年間の活動を通して色々感じることはある.限界集落のような場所では特に,将来の姿が想像できてしまうが故に士気が上がらない.突発的にやったこの3年間は,何年も先を見越しているわけではなく(そうでもないか),ただ目の前のイベントに取り組み,そして次を考えるという体当たり的な事の繰り返しでしたが,だからこそ,その中で住民の方から次はこーしようだとか,あーしようだとか,前向きな発言が生まれ始めたのかもしれない.小さな波は起こせたのではないか.2年目のお盆の時,地元の方の発案で灯籠を並べた事がありました.あれは本当にうれしかった(涙).

羽藤

本当に大切なのは商店街の売り上げがいくらになるとか港の大きなターミナルができるとか,駅ができるとか,あたらしい街ができるとかそういうことじゃない.そんなものがなくても何百年も前から今治って町はあった.住んでる人は港に居て賑わいそして海を見て生きていた.市民みんなが楽しく集まってわいわい話す,そのために街っていうのはあるのだと思う.みんなが楽しみ方を忘れてしまったなら思い出すような生きた「プログラム」が必要じゃないかと思います.大丸の撤退やラジオの中で取り上げたような波止浜港の専売公社跡の撤去など,そういうことを他人事のように考えたり,役所や大学の先生なんかに一方的に期待しても,負の連鎖のような流れ,経済的には満たされているけど,街の風景が劣化していくというような流れはとめられないのではないでしょうか.

大程

そういえば羽藤先生も大学の先生ですね(笑)

羽藤

そういえばそうだ....コミュニティラジオって地域の中では空気みたいなものだと思うんですが,会社からの帰りになんとなくクルマの中で聴いている.あるいは晩御飯の支度をしながら聴いている.そういう光景の中で,なんとなくゆるやかに届くメッセージは大きなメッセージじゃなくてもいいと思うんです.身近な風景をスコシだけでいいから見直してみようよっていうメッセージを僕は届けたかった.でも反響はっていわれるとちょっと,,,,正直うまくいったかどうか自信がない.正直どうだったんでしょうね.

宇佐美

私はコミュニティ放送に携わって6年くらいになりますが、気が長くなったような気がしています。(笑)地域のコミュニティ放送はテレビや大きなメディアのような即効性や瞬発力はありませんが、時間をかけてしみこんでいく、スローメディアだと思います。それこそ、大根を切りながら聞いた何気ない話や、帰宅途中で何度か耳にしたことが、記憶の小さな痕跡となり、それがまたその人の生活の中で何かに結びついていくようなつながりができていくといいなと。

羽藤

気を長くもつ.ですか.

宇佐美

私自身、最初、風景をまもる、つくる、ということに、ピンときていませんでしたが、この1年間の番組を通じて、風景というフィルターを通して今治やしまなみを見たり、意識することができるようになったと実感しています。本当にゆるやかで、時間を要すると思いますが、1年間、同じテーマで発信し続けたことは今後につながっていると思います。また、実際に放送やイベントを介して主体的に動いてくださった地元の人たちがいたこと、集まってくれた人がたくさんいたことは、大きな反響といっていいのではないでしょうか。彼らの風景遺産に対する思いや気づきが、今後地域の中で発信体となってくれることを期待しています。



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羽藤×八木

八木君

京都大学大学院生,公共建築に関心がある.海外の事務所でインターンシップをこなすなど積極的な性格と豊富なアイデアで夏の学校を引っ張った学生リーダー的存在.


羽藤

八木さん.こんにちわ.八木さんのプランは「世界のしまなみ」というタイトルでツーリズム提案という課題に対して,外からのまなざしに焦点をあてた独自性の高いものであったように思います.他の人が教育プログラムなどに焦点を当てたのに対してずいぶん関心のもち方というかプログラムの考え方に違いがあったように思いますが,作ったときは一体,どんなことを何を考えていたんでしょうか?

八木

羽藤先生、お久しぶりです。夏の学校から2ヶ月たち、ようやく波止浜での議論や体験を自分の中で消化できてきました。夏の学校において私のプランは、外からのまなざし、外国の人々に焦点を当てたものでした。八木亀三郎邸をユースホステルにし、そこをしまなみ全体への旅の出発点としたいと考えていました。

羽藤

ユースホステルっていうのは僕はすごく好きで,あやられたなあって感じだったんだけど,発想はどこから出てきたの?

八木

事前に配付された資料に目を通し、美しいしまなみの風景や波止浜という土地で培われてきた豊かな歴史があることを知りました。それと同時に、現状は、お世辞にも活気のある街とは言えない状態にあることもわかりました。今回の風景学校のテーマは、「移動するまなざし 交流と体験のデザイン」ということでしたが、私は、まずこの街に住んでいる人たちに自分たちの街に対して興味を持って貰いたいと考えました。

羽藤

ツーリズムなんだけど,住んでる人にしっかり焦点を当ててたということですよね.「移動するまなざし」の作用というか,課題が読み込めているなと思いました.

八木

パリにしても、ベネチアにしても、そこに住んでいる人々は、自分の街に対して高い関心と誇りを持っています。ベネチアに住んでいるイタリア人の友人を訪ねたとき、そこに住む人々が街を楽しみ、街に対して誇りを持っていることを感じました。観光都市である以前に、住む人にとって魅力的な街だからだと思います。毎日体験する場所として住人が魅力的であると感じることが出来るのなら、その街を訪れる人にとっても魅力的であることが多いはずです。

羽藤

教育プログラムをはずしているのは八木くんらしいと思ったんだけど.

八木

興味を持って貰う方法として、教育プログラムを組むということも考えましたが、個人的な意見として、それはおしつけがましいと思いました。それで本当に地元の人々が自分の街に興味を持つとは思えませんでした。実際、日本の義務教育のカリキュラムにおいて、良し悪しは別にして、自分たちが住んでいる街に関する教育が入っています。しかし、自分の周りの友人を見渡しても、それが成功しているようには見えません。

羽藤

僕も子供のときはそういう教育は退屈だって思ってたかな(笑)までも,直接的ではないけど,地元の風景の謂れを知るとか生業を学ぶとかっていうのは,自分では気付かないけど,だんだん時間を経て伝わってくるものかもしれない.

八木

確かにそうだと思います。けど、僕は教育とは違うアプローチで住民に自分の街に興味を持ってもらえるインパクトを与えることが出来ないか、と考えました。教えられるより、自ら体験し考え、学び取っていく方が身につくと思います。自ら体験し考えるきっかけ、方法として外国の人達を呼び込むということを考えました。外国の人たちが旅行にやってくるようになれば、そこに住む人々は、彼らが何を目的に来ているのか気になるはずです。悲しいことですが、日本人は外国で評価されたモノを追従し評価する側面があります。例を挙げればきりがないですが、街でいうと北海道のニセコが良い例でしょうか。外国の人を呼び込むことに成功すれば、結果的に地元の人々も自分たちの街に対する興味を持つきっかけになると考えました。

羽藤

鶏が先か卵が先かというのはあるよね.

八木

そうなんですよね.このアイデアはその土地に外国の人たちを惹きつける魅力がないと成立しません。昨年一年弱スイスで生活した経験と事前に配布された資料から、この美しいしまなみの風景と波止浜の独特の歴史は、彼ら、特に欧米諸国の人々、を呼び込む魅力を持っている可能性があると感じていました。また、海外では、美しい風景や観光資源を上手く活用している事が多かったように思います。平たく言うと、場所の使い方が上手いという印象を多々感じました。日本の美しい景色は、魅力があるにもかかわらず、マネジメントされていないためにうまく活用されているとはいえない状況にあると思います。個人的には、今の日本の街づくりはノスタルジックな提案が多すぎる気がします。観光マップにしても幼稚なデザインが多く、また、キャラクターに頼ったまちづくりなどは、海外では見られない日本独特の傾向であるといえると思います。

羽藤

遷都くんとか(笑)

八木

それらのアプローチに一定の効果があるというのは理解できますが、キャラクターで街の個性を主張しなくても、もっと自然にその場所のポテンシャルを伸ばす形で街の個性をプロデュースできるのではないかと思います。美しい風景は、それだけで資源となると考えています。あとは、それをどううまく見せるか。課題にあるように、どのように体験をデザインできるかということが重要なのだと思います。課題を考える上で、このような問題意識もありました。

羽藤

風景をつくるというよりもマネジメントするという発想ですね.それにしても,行っていないのに,あそこまでのプランを作るのもたいへんだったと思うのですが,行く前と,行った後では,意識に違いはありますか?事前のプランというのはかなり,歴史や風景に関する前知識を詰め込んだ上で,八木くんの海外での旅の体験を結ぶつけた提案だったように思うのですが,実際に行ってみると波止浜のここは違っていたとか,意識が揺さぶられたとかそういう体験はプランに影響を与えたんだろうか.

八木

そうですね。想像だけだったので、体験してみて意識の変化はありました。波止浜をなんとかしたいという気持ちが強くなりました。その理由は3つあります。1つは、悪い部分をリアルに感じたということ。2つめは、予想以上に美しい風景が波止浜にあったということです。サンライズから見た来島海峡大橋の夕日の風景が今でも目に焼き付いています。また、船の上から見る景色や、グループで歩き回った小島から見るしまなみの風景も綺麗でした。3つめは、祭りに参加してくださった地元の人々を見て、街に対する関心が潜在的にはあると感じたことです。これには、帰国後、日本の街の現状に悲観的になっていたのですが、勇気づけられました。また、造船所が街の中に突然現れる風景にも興味を持ちました。実家が神戸にあり神戸の港にはよく行きました。神戸港の造船所もかなり大規模ですが船に乗らないと造船所の風景を見ることはできません。また、見ることが出来たとしても波止浜のような迫力はありません。波止浜のような近さで造船の迫力ある風景を見ることが出来る場所はそうないと思いました.

羽藤

あの突如顕れる巨大な船の風景は鮮烈ですよね.でも八木君自身は,あそこの場所の直接的なマネジメントは考えていないよね.視線というか意識はその後別の場所に動いていったということだと思うのだけど.

八木

そうですね。ソフトのプログラムには入っていたのですが。無理やり押し込んだような気がします。入り江では、使われなくなったヨットが放置されていましたし,小島や来島では、限界集落がいくつもあり、多くの廃屋を目にしました。消えていく街のように感じました。廃墟の風景は、哀愁があって個人的には好きなのですが、生活する場所にそのような風景があるのは、良くないと思います。このような現状を見て、現状の問題点をなんとか解決したいと思うようになりました。そのためには、波止浜だけのプログラムではなく、しまなみ全体を巻き込むような発散的なプログラムが必要と思うようになりました。長期的スパンで動く布石のようなプログラムを波止浜に打ちたいと思うようになりました。

羽藤

八木君が龍神社で一生懸命,地元の人に自分のプランを説明していましたよね.たぶん伝わったこともあったと思うけれど,あ,オレの言ってることぜんぜん伝わってないなっていうのもあったんじゃないかな.現場に立つと届かない言葉と届く言葉っていうのがあって,もちろん届けばいいってもんでもないし,みんなに届かせようとしてもともとのメッセージがぜんぜんあさっての方向にいっても仕方ないんだけど.兎も角,問題意識が広がったというのは,当事者意識が生まれた反面,八木君自身が持っていたメッセージの強さみたいなものが薄まったのかもしれない.スコシ関連するけれど,僕自身は八木君の個人プランよりも,当日の発表を聞いてちょっとなんていうか,,出来が悪くなったような気がしたんだけど.

八木

厳しいですね。。個人的には、グループ案の方がよくなったと思っているのですが。。議論に関して言うと、根本的なコンセプトに関して激しい意見対立はなかったように思います。以前にもWSに参加したり、昨年事務所で働いていたので、多少進め方を知っていたからかもしれません。なので、それほど苦労したということはありませんでした。睡眠時間はあまりありませんでしたが。。これは、私が感じていることなので他のメンバーも本当にそう思っているかは少しわかりません。しかし、今思い返すとそこが問題だったのかもしれません。

羽藤

僕が意外に思ったのは,そこで対立はなかったということです.他のチームとは違って似たような関心を持つ人を集めるのではなくて,八木くんのチームには異質の関心を持つ人に入ってもらったんですよ.ケミストリーというと大げさですけど,そういうものが見たかったから,野原さんと二人で事前プランをみて画策した(笑).たぶん八木くんのプランの精度が高かったので,そこを核に話は進むと思ったのだけど,もっと深いところに降りていくか,まわりにいろいろ加える方向に行くかの二択だったと思うんだよね.あの時点では.

八木

結局、周りにいろいろ加えていく方向になった気がします。グループを僕がいいくるめてしまった部分もあるかもしれません。。グループ案についていえば、グループの議論においてたくさん出たアイデアをうまくまとめきることができなかったという印象はあります。アウトプットとして何を一番伝えたいのかということを話すべきだったと今は思っています。その議論があまりなかったので、アイデアはたくさんあるけど、全体として何を一番主張したいのかぼやけてしまったような気がします。学生が成長したことは間違いないが,それはよく考える学生が成長したということ以上のことはないのかもしれない.いやそのためには,正確には,もっとここで出たプランが地域の人と組んで実行できるものである必要があったのかもしれない.機能面を考えるなら,アーティストインレジデンスがジェントリフィケーションの手立てとして用いられることが多いが,風景づくり夏の学校のような活動がそうした地域活性化の一手段としてはとらえれられていないことも問題かもしれない.それはうまく使えていないということで,神山におけるムサビのインターンシップのようなケースは,地域に大きな自信を与えているが,学生の思考が地域に広がるというところまではいっていないのはなぜだろうか.この点をよく考える必要があるように思う.

羽藤

最初に原則を決めるというのが重要じゃないかと思う.それは意思ですよね.僕は今でも年間に150回も飛行機に乗って世界中あちこちの街に行くんだけど,いいって思う街のデザインはやっぱりある種の原則に貫かれたものだって思うことが多い.そういうものがなんだかふらついているような場所はやっぱり難しい.もちろんアーバンデザインなんて一貫して自分が複数の場所に携われることは少ないし,携われたとしてもいろんな制約条件はあるんだけど,それでも,そいう条件の中で原則に立ち返っていくようなことが必要じゃないかと思う.そういう内面から湧き上がってくるような,その空間にもともと宿っているものを引っ張りだすような主張がスコシ薄れてしまったような気がして,いろいろ考えてくれて,完成度は一見高まったと思うんだけど.

八木

確かにおっしゃる通りだと思います。150回って、すごいですね。西洋の魅力的な場所のほとんどは、C・アレグサンダーの「パターン・ランゲージ」に非常にうまくまとまっているように思います。スイスに行く前にその本を読んでいたので、滞在中ヨーロッパの都市の至る所で、アレグサンダーのパターンを見つけました。やはり、魅力的な場所が多かったです。そのようなデザインボキャブラリーを統合するトップコンセプトが原則ということになるのでしょうか。西洋の都市では、歴史的な街並みがコンテクストとしてしっかりあり、それがまちの性格としてすでに強くあるので、ふらついた印象を与えないように思います。前衛的なデザインも受け入れることができる包容力がヨーロッパの都市にはある気がします。日本の街で、そのようなトップコンセプトをどのように決定したらいいか非常に難しいと思います。

羽藤

まだそういう空気が満ちているとはいわないけれど,だんだん一貫性が重要だという雰囲気は生まれてきているような地域もぽつぽつ日本の中にも出てきていると思います.絶望しなくてもいいんじゃないかな(笑).グループ内での討議はどういう形で進んだんだろう.

八木

グループ内の議論では、一日目に二つの原則を決めました。一つは、「外からのまなざし」に着目するということ。もう一つは、地元民との交流を促すようなプログラムにするということです。今思うと、この二つのことからすこしずれてしまったかもしれません。。先程お話ししたように、しまなみ全体を巻き込むプログラムになったということ、またしまなみの島々の限界集落の復活につながるプログラムにできたという点で、個人の案よりもよくなったと思っています。なので、私個人の案の延長線上にグループ案があるのでしょうか。まず、布石として八木亀三郎邸をユースホステル化し、何年後かに離島の廃屋を離れとして改修し、更に何年後かにはまた違う廃屋を改修する。そうやってしまなみのネットワークを作っていくことは、結果としてしまなみ全体を活性化することができるのではないかと考えています。

羽藤

確かに思い起こせばエスキースのときにプログラムをよく考えてとかそういう指導をしてしまった気がする(笑).課題は「移動するまなざし」をデザインしろ.だから,一点突破ではなくて,瀬戸内海というかしまなみの多島美をネットワークとして「庵」という発想でつなぐ.改修のプログラムも考えた.そういう直接的な発想はおもしろいしある意味正しい.ただし発想のスケールに対して思考の深さというか,時間は明らかに足りてない.そもそも体験をデザインするわけだから,もうすこし瀬戸内海で遊ぶ時間があってもよかった.これは僕のプログラムミスかもしれないけど,夏の学校では徹夜続きだったから.悪いことをした.

八木

そうですね。個人のプランを発想した時は、リアルな日本庭園を体験でき、八木亀三朗という日本の文化人の生活を追体験できるユースホステルができたら、外国の人は絶対くると信じていました。今もそうですが。そのような「体験」レベルでの主張が薄れてしまったのは残念です。各庵で体験できることもいろいろ考えたのですが、情報が多すぎてうまく主張することができませんでした。また、そのネットワークのリンク自体の船に乗るという体験もしまなみの風景美を味わうことができる面白いポイントだと思うのですが、それも薄れてしまって、最終発表では、プログラムの話に終始してしまったのも心残りです。そう思うと、「外からのまなざし」と「体験」というキーワードを中心にまとめなおすことができるのではないかという気もします。

羽藤

体験をデザインするという意味では,産業遺産チームがシーカヤックで楽しむに集中して潔く一点突破していた.楽しんじゃったもん勝ちなところもあるけれど,センスもよかったし時間内によく仕上げていたと思う.実際の現場では,時間管理が重要で,日本は単年度予算だから設計を年度内に終えなくちゃいけない.とすれば設計協議は遅くても9月くらいには終えてと考えるし,そうすると設計思想や諸々のアイデアを展開できる時間も限られてくる.そう考えると,時間が3日間しかないという時点で,八木くんのチームは発想を大きく展開したし粘り強さも発揮したと思うんだけど,やっぱり最後に時間が足りなくなった.それは浅墓ということかもしれない.とずっと思っていたんだけど,でも今八木くんのチームがまとめた図面をみていて,やっぱりいいんじゃないかなという気がしてきた.すくなくとも,八木君と仲間たちはあの夏しまなみに対してここまでのことを考えた,そして夏の学校の後で出してもらったこの図面そのものには十分インパクトもあった.最後に,夏の学校で得たものはなんですか?

八木

いつもグループワークをして感じることは、ひとのつながりです。今回もそうです。同じように波止浜をなんとかしたい、日本の街に対して問題意識を持っている仲間と出会えることは、すごく励みになります。また、ものをつくるということは、特に土木や建築のようにスケールが大きいものとなると、いろんな場所で対話や議論をしなければならないと思います。そのいい訓練にもなったと思います。夏の学校では、地元の漁師さんに話を聞いたり、一緒に祭りを楽しんだり、地元の小学生と話したり、地元でとれた鯛を食べたりしました。さらに、波止浜を何とかしようと必死に目を開いていました。波止浜という土地により深くかかわれた気がします。それが、夏の学校での一番いい経験になった部分だと感じています。その土地と深くかかわるということは、そう何回も経験できるものではないと思います。パッケージツアーでは、このような経験は絶対できない。禅宗寺院に関することを研究していますが、それでもまだ日本について全然しらないことがたくさんあると感じています。なまの日本のまちとかかわれてよかったと思います。

羽藤

かつて野間仁根さんが描いたしまなみの生業のある風景は今も変わらず本当に美しい.けれど未来においてなおこの地に美しい風景があり続けるために,僕たちは僕たち自身のまなざしをもう一度この風景に対してちゃんと向ける必要があると思う.それは同時に選択の問題でもあるけれど,兎も角,八木君たちが時間も気にせず徹夜で課題に取り組んだように,僕たち自身がある種の限界を超えて何かを求めていかない限り,何の考えもなしにこの美しい風景は喪われてしまうかもしれない.そうならないためには,一見回り道に見えるかもしれないけれど長い時間かけた粘り強い思考が必要だし,山ほどの立体的アイデアと自らの力強い行動も必要だと思う.



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羽藤×横田

横田さん

高知工科大学の4年生,専門は景観デザイン.重山先生の門下生で,事前課題ではしまなみを読み込んだツーリズムデザインを行い高い評価をえた..


羽藤

こんにちわ.横田さん.今日は,横田さんが夏の学校で,波止浜-しまなみに行って,いったい何を感じて,どんなプランを考えてくれたのか,そいうことを掘り下げてみたいと思っています.なんでそんなことをやるのかというと,たぶんひとつは,外部の若い人が波止浜-しまなみという地域に対して一体どんなことを感じているのかが知りたいということ.もちろんそういう感じ方はきっと人それぞれなんでしょうけど,エスキースなどもあったりして,感性をそれなりに研ぎ澄まして能動的な状態で3日間を過ごした中で感じたことというのは,学生さんであってもそれなりの説得力を地域を持ちえるのではないかと思っています.横田さんのプランは事前に提出され40プランの中で優秀賞受賞作品に選ばれたんですが,ツーリズムそのものに焦点をあてて,しまなみの体験ツーリズムを提案する内容になっています.他の人が建物のリノベーションや教育プログラムに焦点を当てたのに対して正面から「移動するまなざし」を取り上げた数少ないプランだと思ったのですが,作ったときは一体,どんなことを何を考えていたんでしょうか?

横田

こんにちは、羽藤先生。まず、事前提出のプランを優秀賞に選んでいただいてありがとうございます。プランを考えていくのに、まず配布資料に目を通したのですが、とても量が多かったですよね。全部読むのにとても時間がかかりました。さらにその他も気になった所をインターネットで検索しまくって資料集めをしました。そのおかげでしょうか、講評では妄想し過ぎだと先生方が口々におっしゃられていました。でも確かにプランをつくる1週間くらいは本当に波止浜の事ばかり考えていたと思います.

羽藤

Sleep with problem.「問題と一緒に眠れ」という研究者の鉄則として知られた言葉ですが,横田さんのデザインの方法論は重山先生の影響もあると思うのですが,知識を詰め込んで同じ問題をずっとある一定時間考え続けたものだなという印象です.

横田

プランは、八木亀三郎邸ではどのような事が可能なのか、しまなみの観光事業ってどんなものがあるのか、何が新しく始められるのかという所から入りました。出てきたアイディアを、しまなみと八木邸を関連付けながらストーリーづくりを行いました。

羽藤

波止浜という場所を読み込んだ上で出てきたアイデアが立体的に構成されていてずいぶん洗練されているなというのが僕の第一印象だったのです.こういう課題を学生に出すと,ややもすると自分の経験や感性を矢鱈に消化不良のまま押し付けてくるケースも多いのですが,横田さんの場合は,表面に見えてるプランよりもその背後にあるアイデアがあった.

横田

波止浜という土地を調べる事と同時に何度も読み返したのが、羽藤先生の「人はなぜ移動するのか?」という文章です。「移動するまなざし」とは何か、「体験と交流」という具体的なアクションをどう組み立てていけば良いのか何度も何度も読み返しながら読み取ろうとしていました。結果出てきたのが、八木邸での体験プラン(歴史資料館も付属)+しまなみサイクリングツアー。八木邸では何を体験するのかという問いには、「造船をする」というわりと安直な答えでした(八木邸を使うには大きな船は無理なので船の模型づくりにしました)。

羽藤

いくつもアイデアは出したけど,それをぱらぱらつなげるのではなくて,原則というか拠り所を「造船」というところに設定した上で,それを動線としてデザインしていったと.

横田

造船体験の後にはサイクリングをもってきて、八木邸からしまなみ海道へ移動する。造った船を海に流す事で、海をくまなく見渡す理由をつくりました。資料館で歴史を学び、船づくりを体験した後に見渡す海では、何が見えてくるのかを問うという内容でした。例えばあそこは潮の流れが速いんだな、船は昔も今もあの辺りで造られているんだな、あそこの辺りでは塩田があったんだな、とか感じられる事が多くなると思います。そういった風景の意味を考えられるツアーになれば良いと考えていました。

羽藤

「移動するまなざし」という課題には,自分の外へまざなしを向ける契機として「移動」をデザインする,そのことで自分という存在がもう一度はっきりしてくる,そういう体験を波止浜という空間で考えられないか.というメッセージをこめたつもりです.横田さんの考えたプログラムは,体験を狭い空間に閉じ込めないで,広い海につなげてやる.そしてその体験そのものが,スケールの大きな現実の産業,現実の風景とつながっている.というものでした.ツーリズムの中の対照的なスケールの対比が,自分という存在をより際立たせるのではないかとプランをみながら不覚にもわくわくしてしまいました(笑).「海を見渡す理由をつくる」っていうのもとてもいいアイデアだったように思います.あと僕が気になったのは,行っていないのに,あそこまでのプランを作るのもたいへんじゃないか,とか,ちょっと妄想しすぎじゃないかというか(笑),波止浜という場所に行った後,横田さんの意識は変化したんでしょうか?

横田

行っていない土地のプランをつくるという事が始めてだったので戸惑いは有りました。だから妄想するしか無かったんですけど。その成果というか、波止浜がどうして波止浜と呼ばれるようになったのか、ハコ潟湾という地形とか製塩業や輸送船、造船業と、発展してきた波止浜をどう見るのかを、しまなみの海には無くてはならない要素となっている「船」を媒体としてツーリストに投げかけていくというスタイルは波止浜に来た後も変わっていかなかったと思います。それは船の重要性が外からも認識できていたからだと思います。しかし、波止浜に来てみて、造船のスケールの大きさとか、潮流体験で得た体験だとか、この土地に立ってみないと分からなかった魅力をたくさん感じました。

羽藤

直感をある程度事前に吟味していたから,事前の原則が変わらなかったのかな.たたデザインっていうのは演繹的なものではないから,直感で答えを出して,それを演繹的積み上げて,また崩してというものだとは思います.その文脈でいい意味で予想を裏切るような体験はなかったですか.

横田

事前プランでは、しまなみ海道を自転車で渡るサイクリングツアーがある事を利用してしまなみの風景を見渡すプランを提案していましたが、シーカヤックというマリンスポーツとの出会いがありました。船という観光客が自分の意志で動かすには敷居の高い乗り物を、初心者でも乗りこなす事が出来るシーカヤックに置き換えてみると、しまなみの文化をつくってきた潮の流れを体験する最適の移動体験になり得るのではないか。昔の人もこうして手で漕ぎ、潮待ちをし、生活を紡いできたのだと感じることできるのではないかと思いました。インストラクターさんたちとの出会いで、新しい見方が出来るようになりました。出来る事ならば実際にシーカヤックに乗ってみたかったです。

羽藤

しまなみのシーカヤックは,本当にいい.潮流にも表情があって.自分が自然との本当の境界にいる感じがして僕はすごく好きです.こんどみんなで行ってみましょう(笑).というか,えーと,,体験を次々取り込んでいくのはチームのメンバー内のコミュニケーションもうまくとれていたし,否定から入らないというのは案外重要な要素だと思うのですが,そういう意味では,横田さんの班は産業ツーリズムというテーマを無理やり僕が割り当てたんですが,戸惑いはなかったですか.

横田

産業ツーリズムと言われた時は、確かに戸惑いはありました。産業と言うと企業と何かをするとか、そういった事を連想しそうになるので。グループワークの中で、構築されていった私たちのプランというのは、産業ツーリズムという観点から、造船業、製塩業などがありましたが、その中でも造船業・船というキーワードをピックアップして観光事業を考えました。体験と交流、その中で生まれるココロの変化をテーマとして、何ができると観光客が喜ぶのか、何を通じて観光客はしまなみの歴史や文化を体験するのか、私たちはそのヒントを波止浜に来た1日目に体験する事が出来ました。1日目に実施された潮流体験を経て、自分のすぐ近くで荒れる波しぶきや、渦の真ん中で回る感覚によって、この潮流がこの土地を特徴づけていると感じました.

羽藤

潮流体験は本当に「体験」というのに相応しいですよね.篠原先生や学生がみんな興奮してておかしかった(笑).

横田

その他にもフィールドワークをしているときに、幸運にもドックの中を見学する事が出来たり、地元でシーカヤック(マリンスポーツの一つ、海の自転車とも呼ばれる手漕ぎのボート)のインストラクター兼ガイドをしている方のお話を伺える機会がありました。その際に波止浜としまなみの魅力は海に出るとすごくわかるというお話があり、波止浜の歴史や文化は潮の流れと関係を持ちながら発展してきたということに気づきました。

羽藤

他のチームとは違うモードに気付いたというのがそれもシーカヤックっていうのが,何かの縁だと思うのですが,なんだか引きが強い(笑).

横田

私たちが、シーカヤック(船)を用いた体験・しまなみの文化的景観・ココロの変化を一連のストーリーとしてツーリヅムに盛り込んだのはそのような経緯があったからです。そういう意味では産業ツーリズムという切り口から、波止浜の歴史や文化から地形までをよく表現できたと思っています。

羽藤

でも,普通は産業遺産とシーカヤックなんて組み合わせないと思います.明治時代くらいの旧いドックがあるんだから,そこを使って何かするとか,産業遺産のツアーを組むとか,そういうのが普通の発想です(笑).横田さんの班は,あくまで「移動するまなざし」にこだわって,造船とカヤックと結びつけて,まざなしの変化が生み出すフィジカルなここちよさと,立体的な体験の連なりを表現しようとしていた.夏の学校は2泊3日の合宿形式ですが,横田さんの班はずいぶん徹夜をしてたと思うんだけど,やっぱり深夜にああいう方針は決まったんですか?

横田

そうですね、ドックに入って産業遺産もみる事ができていたし、シーカヤックとの出合いが無ければ、もしかしたら遺産巡りとか、造船体験だとかそういった産業とのアプローチに収まっていたかもしれません。ですが、シーカヤックで実際に波止浜と海の関係を体験されている方々に出会って、その生き生きとした生の波止浜を語る彼らに影響を受けた結果だと思います。 夜にはどうやってこれらの体験を繋げるか、観光客には何を体験してもらって波止浜を知ってもらうか白熱した議論になっていました。途中脱線したり、熱くなりすぎたりといろいろありましたが、私が何度も繰り返していっていた事は、楽しいプランにしたい、この事が一番でした。口うるさく言っていたのでメンバーの原さん、佐々木さんはうんざりされていたのではないかと思います。私のわがままにたくさんつき合って頂いて感謝しています。

羽藤

個人課題の出来が良かったので,グループワークではどうなるかと思いましたが,横田さんのプランそのものというよりも考え方のようなものにチームのプランが収斂していったように思います.他の班とはそのあたりが違う気がしました.でも,ちょっといじわるな質問ですが,自分でこのプランに満足していますか?あるいは,このプランに足りなかった点があるとすればなんでしょうか?

横田

ホントにいじわるですねー(笑)。確かに満足しているかというと必ずしもそうとは言い切れません。3日間という短い間で波止浜の魅力を全て知る事が出来たとは思えませんし、製塩業や漁業とか、まだまだ産業ツーリズムのヒントとなるものは沢山あったと思います。その中から「潮の流れ」と「船」を取り上げた事は、良い選択だったと思っていますけど。足りなかったものは、やはり八木亀三郎邸と絡める事が出来なかったところだと思います。海の上の移動がプランの中心だったので、なかなか八木邸まで手を伸ばす事が出来なくて。 なにかを体験すると、その後のものの見え方が変わってくる。それがそもそもの私のプランの背景にありました。 グループのプランでは体験前後のココロの変化をもう少しつめて考えたかったし、陸と海を移動する事でより人々と海の関わりが見えてくると思うので、八木邸をプランの拠点となる施設としての提案等が出来ていたらもう少し内容の濃い提案になっていたかもしれないと思います。

羽藤

最後に,波止浜としまなみへのメッセージ,それから今後の抱負みたいなことをお願いします.

横田

波止浜・しまなみの風景は表情が色々あって本当にキレイでした。独特の船の航路や大小様々な船が行き交う様子は海上の活気が良く伝わってきますし、海を眺めているのが飽きない場所です。波止浜の造船の風景も他ではなかなか見る事が出来ない景色で初めて来た私たちにはとても新鮮で魅力的でした。今回私たちが訪れたことで、地元の方に認識されていない歴史や風景の価値を見直すきっかけとなって頂ければいいなと思います。

夏の学校の様な全国の学生が集まるグループワークに参加して、そういった体験がとても貴重な体験で価値のあるものだと感じました。これから私が景観デザインを勉強していくなかで、そこで出会った人たちと過ごした時間やつながりを、励みにして頑張っていきたいと思います。今後しまなみ・波止浜がどう変化していくのか楽しみです。今度しまなみに遊びにいったら、ぜひシーカヤックにも挑戦したいです。楽しくてキレイな夏の想い出をありがとうございました。

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