□ 日時:2012年1/17(火)17:15-18:15
□ 場所:九段下(内藤さん事務所)
□ インタビュイー:内藤
□ インタビュアー:羽藤
□ 補助:柿元,斉藤


■はじめに(羽藤)

今日の論点は4つある.
1.ご自身が今回の震災をどう見るか.日本,計画の論点は?
2.内藤先生なりの方法論
3.これからの技術者像
4.土木のこれから,日本のこれから
3,4は未来に向けて,という意味で話しをお聞きしたい.


羽藤:東日本大震災から1年.変わったという人もいるし変わっていないという人もいる.後藤新平のように国家統制的な方法がいいという人もいれば,コミュニティベース,という人もいる.
その中で内藤さんが今回の震災をどう見ているか.それを通して日本をめぐる時代感についてどういった考えをもっているかについてお聞きしたい.

内藤:基本的には,戦後特に50年以降の社会システム,経済システムが耐用年限がきている.震災はそれをつまびらかにする.本当は阪神のときに法を見直す必要があった.中山間地の問題,中越のときもやりきれなかった.いよいよ見直さないといけない時期にきている.うすうす思ってきたことが正念場にきている.ここでうまく乗り切らないと経済的にも産業的にも長い停滞期に入るだろう.個人的にはアイテムが全部そろったような感じ.仮に東京直下が起きた時に何が起きるか.都心直下,中山間地,原発の問題.全て起こった.今度来る時は個別ではなく,これらの組み合わせでくる.これ以外はバイオハザードか,ケミカルか.

羽藤:未来はハザード×バルナラビリティということ.おっしゃっていることは理解した.しかし今まさに地域で直面している人がいて,できていることとできていないことが峻別されつつある.そのあたりから問題は浮かび上がってきているか?

内藤:平時においては,カスケード状に法制度として上から降りてくる形.でもそれが今役に立っていない.下の方の人たちは,コミュニティや過疎の問題に直面している.ツリー構造と下位の問題,両者がつながってない.つながるのが春から夏にかけて.両者が近づいてくると具体的な話になるので,とても大変だろう.上の話は近代国家というストラクチャ.下はもっと昔から続いてきた古いシステム.

羽藤:土木的な方法であまねく提供するという方法と,建築的な方法で個別に対応するという両方の方法がある.内藤さん自身は両方に関わられている.内藤さん自身のアプローチがあるとすれば何か?

内藤:アレクサンダーのセミラティスという言葉がある.関係づけるということ.ツリーかセミラティスかということが今まで議論されてきた.しかしツリーでもセミラティスでもない,双方が立体的に形成されるような形しか解決できないのではないか.セミラティスは平面上に広がるような構造.ツリーはそれを垂直方向にコネクトする. 建築家というのは,平面的に動いている.そこだけでは全然ダメ.制度的に立体的に降ってくるツリー状の構造とそれをつなぐ平面上の点の定義.一つのものに対して2つの定義が必要になるのではないか.
少し突飛なことをいうと,,復興の会議などをいろいろ見ていると,韓国は1996,7あたりに経済的にバンクラプトがあって,キムデジュンとブレアがデザイン立国宣言を行いデザイン政策を行った.10年で明らかに日本は抜かれた.デザインで抜かれ,技術でも抜かれた.
今世界ブランドは三陸と福島.復興立国というものはあり得ないか?どのように復興するかという視点で見ることができないか.陸高の地勢等を見るのは当然だが,もう少し広く見る.地域だけど世界だという意識.中だけのことを考えてちまちまやっていると安全だけど誰もいないような地域が50年後に生まれてしまうのではないか.

羽藤:丹下さんは原爆のあと原爆ドームや周辺の構造物の関係性を考慮しを街路の構成を考えて計画を行った.しかし現在における復興というのは,そういった祈り,悼むということを超えていくような社会基盤のありかたが必要ではないか,という話だと理解した.

内藤:最終的には人の営みが生まれてこないといけない.世界の人が見たいのは,その時に日本人がどのように考えてどのように扱ったかということ.1950,60年代の思想でやったのでは呆れられる.
復興立国みたいな,復興そのものを国の力にしていくということ.三陸の人のためであり日本のためであるという意識が必要.

羽藤:その担い手となる技術,プレイヤーのありようは?先ほどセミラティスとツリーの立体的な話しがあったが,技術者としてどのような担い手がいるのか.どのようなことが必要とされているのか.

内藤:土木工学に行って面白いと思ったのは,海岸やってる人は海がすごく好き,そういうことは重要.エンジニアリングの話はそのあとにくる.まず好きというのが重要.青山さんは東北の川のことをとうとうと語る.
エンジニアとしてある前に,人間として何を感じるか.

(震災の時に内藤先生が書かれた,犠牲になった人の数の点の図を示して)
羽藤:この点はどういう思いで書かれたのか?

内藤:松岡さんから何か書いてくれという話になった.これは当時の数字で実際とはちがうが,当時ずっと増え続けてた.あるときから数字を数字としてしかみなくなった.三陸のことと関わっていくという時に,この数字というのはどういうことかというのを描いてみようと思った.3日3晩書いた.途中くらいから祈り,鎮魂の気持ちになってくる.儀式.数を身体化するということ.

羽藤:そういう部分が,専門性が特化していくなかで身体感覚から離れていったものになってしまう.そういう中では内藤さんが先ほどおっしゃっていたような様々な結び目がつなぎあって,立体的な構造をなす,ということにはならない.

内藤:個人として亡くなった方にシンパシーを感じるのは当然のことだが,それだけではないと思う.それを専門,職業にしているのだからもっと根本的なイメージが必要.それぞれのテリトリーでのイメージをどこに求めるか.エンジニアリングはそのあとにしかない.なぜかというと今回のことはエンジニアリングの敗北だから.

羽藤:最後に,土木史感について,日本について.その中で我々がどういうことを考えていくべきか.

内藤:新渡戸稲造が武士道の中でラスキンの言葉を引用している.ラスキンは平和主義者という前提であえて言っているが,「戦争はその国を鍛える」という言葉を引用している.戦争という言葉を災害に置き換えてもいい.我々は鍛えられている最中.そこで本当の力がでてくる.しかし,これを若い人が見逃してしまうと何もでてこない.
三陸が起きなかったらどうだったか?と考えてみる.過疎地は衰退,GDPは下がる.起きたことでいろんなことがはっきりした.ここをどう捉えるかによって,僕は未来はあると感じている.大谷先生と話をしていると,東京大空襲の後で火炎が龍のようだった,広島の後の溶けた風景などとても印象に残る.
広島の時,慰霊というよりも内臓を垂らして歩いているひとや手が溶けているひとが実際にがいる中で,その人たちの思いを受け止めるのはあのアーチは不適当だろう. 大谷先生が感じたものを僕らは一旦忘れた.僕らの前の世代の人の教訓を生かしきれなかった.それをもう一回受け止めなきゃいけない.やはり復興立国を考えるということだろう.

羽藤:それくらい思わないとうまくいかないという自覚のある人がまだ少ない.

内藤:韓国は10年かかった.大きいものは10年はかかる.

羽藤:どれくらい記憶を内面化して向き合えるか.ということ

内藤:韓国の政策で参考になるのは,財閥系のトップの意識改革をまずやった.次に中小企業とデザイナーを組み合わせた.3つ目は教育,学校を増やした.トップと中層と若者.その3本組みでやって10年かかる.

羽藤:トップの政策で血流をよくすることと,ボトムの教育の部分.上流の意思決定ができないということが最大の問題.

内藤:あまりに根幹に触れているのでうまくできないということ.

羽藤:でもそこをやらないとできない.

内藤:たぶん上の方は動けない.なので,下のラダー状のセミラティスの方から,上のツリーがどうあって欲しいか,という方向で変えていくしかないかもしれない.できるかどうかわからないが.. 大事なものの順番づけをして,ここだけはというものをきちんとやる.

羽藤:橋本さんと山口さんが話して,教育改革の成功例すらない.中山間地などの成功例もない中で,被災地の復興の中でそれが生まれれば大きい.

内藤:逆回しの方法論が求められている.こういう風にしてくれと下から言えばいい.

羽藤:それぞれの自治体のスケールがあって,それぞれに個別解はあるかもしれないが広域調整がない.例えばJRの路線をどうするかという問題に対しては,複数の主体が調整を行う必要がある.本来国や道州制くらいのスケールのところが必要.自治の単位をどうすべきか,ということがよくわかってない.流域圏など自治体を超えた範囲の単位が必要.サルコジがやってるグランパリのような.まだそういう声が上がってきていない.
そもそも気づいていない人も多い.2年3年たってようやく問題に気付く,というような状況もある.それをどうやって変えられるのかという挑戦でもある.問題が複合的になっている.

内藤:(原発の話で)水素爆発した時点で炉心溶融しているのはわかった.技術者としてそれをいうかどうか迷ったと言っていた.アカウンタビリティとして言うというのはあるが,その結果生じる政治状況に対して責任が持てないという状況の中で専門家はすごく悩む.本当のことをいってその状況はコントロールできるか?首藤先生は津波についてかなり踏み込んだ発言をした.それはそういうことが求められていた状況だったということだろう.どこまで本当のことを言うのか?

羽藤:公的討議をどう設計するか.わかっていることとわからないこと,わからないことの精度を明らかにすること.

内藤:専門分野を超えたトータルな話がなされるべき.防潮堤の話だけではなく原子力のシステムプランニングの話まで本当は及んでいるべき.普通なら非常用電源を海側につくるとかありえない.しかしそこまで考えることをを怠ってきた.

羽藤:北欧の方だと,都市計画の問題も個別討議ではなく,それぞれの専門家が集まっているテーブルがあってそこで議論をする.違う分野の専門家が一つのテーブルで議論する場が必要だろう.