2015年の都市計画・デザインスタジオ座談会
話し手:柏貴裕・川口翔平・小見門宏・山川一平・北川まどか 山本正太郎・森田智美、聞き手:羽藤英二 ※この座談会は、東京大学社会基盤学科3年夏学期/冬学期に開講されている基礎 プロジェクト1/応用プロジェクト1の受講者を対象に2016年1月5日工学部1号館 演習室で開催しました。 羽藤:1年間スタジオおつかれさま。夏学期に引き続いて15人で横浜都市マスタ ープラン作成を試みたんだけど、市長役の柏君から話を聞かせてもらえますか。 柏:2050年を見据えて、横浜市を取り巻く状況が少子高齢化などで大きく変化す ること高齢者が増えることによる医療費や社会コストの上昇、また地域間格差の 拡大によって、東京に近いエリアでは現状維持が可能ですが、駅から遠い場所で は人口減少が起こり、地域の経済状況の濃淡が生じる点を踏まえて横浜のプラン ニングを行いました。特にリニア整備によって横浜自体が大きな国土軸からずれ てしまうことで、(品川や名古屋、相模原に対して)横浜の相対的地位は下がっ てしまうことが予想されることから、さまざまな拠点強化を考えました。海沿い の雇用拠点、非日常的な拠点、通勤拠点といった各拠点に人の住まいや流動をあ つめていく、同時に自立していくそういうコンセプトのもと都市計画のマスター プランを作成しました。具体的にいえば、先進的な観光地区、若者を積極的に入 れていける地域、放射交通で都心にいける居住地域といった5つの拠点像を将来 に向かって描き、地域独自の魅力を高めるという提案です。またこれらの地域が 環状交通で互いに結びつく、バスなどでスプロールを防ぐそういった視点も加え ています。 羽藤:川口くんは、旧市街のマスタープランを担当しましたがどう感じましたか。 川口:はじめに、市役所のみんなでざっくりと「自立した横浜」というコンセプ トについて議論していきました。こうしたコンセプトはやや気恥ずかしくもある のですが「オンリーワン横浜」といっていた最初のコンセプトからあまり変わっ ていません。一貫しているといっていい。但し「自立していく横浜」というコン セプトに対して、周りの都市である川崎との連携をむしろ考えたり、東京を取り 込むように横浜を拡張して考えてもよかったのではないか。東京との関係をもっ と深堀して考えた上で、コンセプトを考えられたかといいうと、根拠をもって考 えられていない気がしています。 羽藤:わかりやすいコンセプトにしないと求心力が生まれないけど、誰もが理解 できる言葉はプラスチックワードになりがちです。個別敷地のプランニングは? 川口:横浜の中でも特異な歴史性をもちながらも衰退している旧市街地区を扱っ たわけですが、キーとなるのは歴史の扱い方だと思いました。京都のようなわか りやすい形で文化が土地に積層している、誰が見ても価値がある、あるいは美し いと判断できる状況にはないのが横浜の旧市街地の状況です。一掃されてしまっ た風俗街や、衰退していく商店街、中華街をはじめとするさまざまな外国人の人 々が居住する地域、横浜市の中でも生活保護者があって、多様な社会問題の坩堝 といえる空間が旧市街だからこそ、歴史の中にあって、未来にどうやってその痕 跡を引き継いでいくのかが焦点になったように感じています。 小見門:僕自身都市計画に最初に取り組んだのが横浜の旧市街だったわけですが、 こんな地域が横浜にあるんだと思ってフィールドワークの直後に「つなぐ」といっ た(今思えば)安易な提案をしてしまった。でも、そんな簡単なものではないん ですよね。現地を歩いて感じたこと、多くの文献史料などをむすびつけて考えな いと都市計画はたてられないと後になって気づいた。正直このスタジオは難しかっ たです。 羽藤:夏学期34人も受講していたのに、冬学期は15人だからな(笑)。 川口:夏学期のスタジオでは、「つなぐ」ということをフィールドワークから一 貫して議論して、それは最後の提案まで実は引き継がれています。具体のプラン として、旧市街は縦方向に出来ているわけですが、コリアンタウンや伊勢崎モー ル、大岡川のプレハブだったり、でもこれらの街区の横のつながりは薄かった。 だから「トラム」という旧くて新しい交通モードで街区をつなぐことで、町同士 の横のつながりをつくろうとしました。また冬学期のスタジオでは、街の歴史を 紐解き、旧市街が開港の時点で先取の精神に富み、先進性があったことに気づい た。それを施策に生かそうと芸術活動をプログラムとして取り込むことを提案し ました。 羽藤:全体と個別プランの関係は? 川口:都市マスからみた旧市街というのは確かに重要で、全体の都市マスの中で 旧市街はコンパクト化して「若者が住む」ようになってほしいということだった。 そこで地域に大学(のプログラム)を置くという選択をしました。 羽藤:冬学期は、専門的なスキルを持つ都市デザイン事務所と交通計画事務所を 設立してもらって、ハーバードのデザインスクールで取られているようなロール プレイで取り組んでもらいました。 山川:ロールプレイとしてのデザイン事務所は、序盤は手探り期で、最初は専門 家の先生から模型作成のレッスンなども受けましたが、動き出しがなかなか出来 なかったように思います。最初にゾーニングも考えましたが、みんな違和感を感 じていた。結局デザイン事務所がちゃんと動き出したのは、みなとみらい地区の ゾーニングが行われた後、三個の対象敷地が副市長の中島くんから示されてから です。担当が決まってようやくデザインがスタートしました。僕が担当したのは 横浜駅からの徒歩動線のゲートウエイにあたるグランモールの入り口敷地で、い わゆる53/54街区といわれている、今空き地になっている地域です。「海風をま とう図書館」というコンセプトのもと空間提案を行いました。海側の居住地と観 光客双方の流動があることから、通り抜けできる道を2本を式に取り込んで、図 書館と商業施設を挟み込む空間計画を考え、帆の形の屋根を提案しました。 北川:LINEの履歴を確認してみたんですが、デザイン事務所が動き出したのは臨 海部でこんなものを作ってほしいと副市長の中島くんから依頼されたのがスター トでした。私はクイーンズサークルの提案をしました。マスタープランの中で当 初(自分の敷地提案が明確には)位置づけ出来ていなかったことがデザイン提案 を難しくしたように思います。副市長からの依頼は11月でしたが、過程をおって いくと、9月〜10月は、上大岡駅のスタイロ模型をつくって結局つぶすことに なってしまいました。デザイン事務所と市役所がロールプレイの中で、最初に切 り離された状態でスタートしてしまい、市役所の現地調査にデザイン事務所が加 わることなく議論が進んでしまったためです。最後は臨海部や旧市街といった敷 地ごとに市役所がテーマを仕分けしていったわけですから、そこに直接デザイン 事務所のメンバーが各チームに入っていけば、よかったように思います。 羽藤:計画の補助線も何もない状況で、デザイン事務所からプロポーザルを出す ことは難しかったのでしょうか。 北川:交通事務所はネットワーク分析などの分析ツールをもとに、プロポーザル の根拠を比較的明確に示せる立場であったのに対して、デザイン事務所の場合、 (最初の時点では)模型や図面による空間分析手法の理解度が低かったこともあ り、市役所に対して何らかの根拠をもってプロポーザルを示すことは難しかった ように思います。どんな方法がありえたかといえば、縦割りの組織ではなく、地 域単位で取り組むチームに直接デザイン事務所の各メンバーが入っていく方法が よかったのかもしれません。各チームでの議論を市役所班全体でマスタープラン として纏められればよかったように思います。 羽藤:交通事務所はどうでしたか。 山本:交通事務所は独立して交通計画の策定に取り組みました。市役所と連絡は 常にとっていましたが、僕らかみれば市役所側の議論はふわふわして見えた。で もそれは僕たち交通事務所自身が市役所に対してちゃんとしたデータを提供でき なかったせいもあったように思います。そこで11月になって分析した数字を(議 論の根拠になるようにと考え)出し始めた。地域ごとの連携についても、こうし た根拠づけについて、うまく橋渡しができなかったことが響いたようにも感じて います。地域ごとにデザインと交通が一緒に組まないといいプランニングができ なかった。 羽藤:複数のチームでプロジェクトに取り組む際、根拠をひとつづつピン止めし ていくのが重要です。 森田:交通事務所は確かにデータが手元にあったので、手を動かそうと思えば、 動かせたんだけど、何をだせばいいかは、、最初見えていなかった。苦しい時期 が序盤は続いていました。分析も量を積んだ割には、結果として出せなかったと いう印象です。最終成果物についても、結局弘明寺-上大岡と上永谷しかできな かった。交通は全体を俯瞰できる専門性があったにもかかわらず、それができて いたらと思うけれど、私たちから市役所班やデザイン班に、こうしたほうがいい と言いたかった。でもそれが出来なかった。 羽藤:プロジェクトにはみんなで理解を共有していくプロセスと、提案の強度が 求められる局面があります。 山本:僕たち交通事務所は、最初は過去のPTを分析することから始めて、横浜の 拠点レポートをまとめました。その後、上大岡と上永谷の将来像を考え、各拠点 の地域形成史とPT双方から分析し確認していった。その結果、弘明寺は歴史はあ るが今は衰退しており、旧市街には(弘明寺は)入らないし、かとって郊外とい うには都心に近いのであたらない。でも何か提案したいとなって、結局、中間発 表の時点で、上大岡と連携した提案が面白いという講評をいただいたこともあり、 デザイン事務所の協力も得て、地域拠点となる2つを駅をつなげたプランを考え るという提案に落とし込んで具体の空間計画と交通計画して提案することが出来 た。 羽藤:交通均衡配分や地理分析、史料分析がアイデアにつながったということで しょうか? 山本:地理を分析してわかったのは、横浜は流域と崖線に特徴があるということ です。流域を遡って都市が発展していき、かつて市電の終着が弘明寺だった。そ れが地下鉄に切り替わり、上大岡が終点になったことで、拠点となる駅が変化し た。まちが交通ネットワークの切り替わりに影響を受け衰微していった。だった ら、交通のつなぎかたをスイッチしてやればいいと思った。史料分析では、横浜 市のHPはもちろんですが、図書館から史料を探して参考にすると共に、浜レポ (笑)なども参考にしました。 羽藤:森田さんは郊外の「弱い計画」にずっと取り組んでいたのが印象に残って います。 森田:私は郊外という同じ敷地に先学期から一貫して取り組みました。先学期か ら今学期にかけてよくなったと自分で感じているのは、既にある敷地のストック をどう生かすかという視点をプランに盛り込めたことだと思っています。都市マ スとの関係において、郊外にそれほど多くの予算を使えない中、今あるストック を生かすという視点が生まれました。地形は厳しく駅からも遠い、そいう場所の 生活はだんだんしんどくなるしバスも少ない。地域がこれからも本当に維持でき るのかという視座のもとで、小学校統廃合に注目することが出来た。児童数は今 後減少していくことは予想できたから、まず1学校は維持する。その上で全体の 学校数を漸減することで予算の削減が可能になる。もちろん不便になるんだけど、 地形の中でバス路線をちゃんと設計して通してあげることで、子供たちがスクー ルバスとして使いつつ地元の人々の足にすることもできる。モビリティとストッ ク双方から郊外の計画を考えました。 羽藤:仮説やアイデアを生み出す際、現地調査は機能しましたか? 森田:現地調査では、地形条件が厳しいため、坂道の途中で休憩している高齢者 の方がいたのが印象に残っています。フィールドワークの結果から、世代ごとの 交通行動分析を行い、駅からの距離ごとに交通機関分担率を分析しました。一方、 バス路線の設計では、ODパターンに注目して、小ゾーンごとに通院圏域を分析し ました。路線のつなぎ方を考えながら分析した結果、上永谷はトリップが集まる 場所であり、様々な施設があるため、やはり交通拠点として残すべきということ が浮かび上がりました。 羽藤:今回のスタジオでは映像チームを設けて、島津たちに横浜の都市映像の編 集に挑戦してもらいました。なかでも小見門のフィールドワークを通じた芹が谷 銀座商店街の編集映像が印象に残っています。現地でのフィールドワークは都市 計画の基本ですが、それぞれなりの気づき方があったのではないでしょうか。 小見門:僕の場合、夏学期は旧市街地区の空間計画に取り組んで、何度もフィル ドワークに行ったことで、机上でしか考えることができなかった都市形成史や交 通分析の結果が身体に入っていくことを体験できた。横浜は最初は川沿い、次に 山を切り開いて住宅地ができていったわけですが、フィールドワークを何度も行っ た結果、今まで知識だけでは気づかなったことに目を向けることが出来るように なった。フィールドワークしなければ、風俗や簡易宿泊所をしっかり計画しよう ということは思わなかったはずで、いい感じの野毛といったような雰囲気だけの 計画策定に取り組んでいたかもしれません。自分がつくる計画に対して責任感も 生まれました。自分の計画が、誰の暮らしが変えてしまうのか、コストを投入す る価値が本当にあるのか、坂道を歩いている高齢者のかたを見ていると、自分が 計画することで少しでも生活をよくできないか、そういった感覚がうまれました。 対象地全体の地形、住んでいる人の社会経済属性の特徴、主たる移動手段に注目 して、大きな街道と路地の段階的な構成、そうした街の骨格をひとづつ確認する こと、購買地のロケーションなども重要だと思います。 川口:空間そのものをフィールドワークでちゃんと感じとれるようになったのは、 歴史を調べるようになってからではないでしょうか。小見門だって最初の頃はフィー ルドワークに行っても早く飲みに行こうよみたいな感じのことを言ってたし(笑)。 僕はなんてこというんだって思ってたんだけど、でも歴史を調べた後、小見門が 急に(別の意味で)はしゃぎはじめて、何かが変化したんだと感じました。(フィー ルドワークでは)下調べが重要だと思います。 北川:私は、いろいろ調べていくのも大事だけど、最初に自身が何も持っていな いときの印象も重要だと思います。住んでる人や観光客は必ずしも地域のことを 正確に知っているわけではない。だからこそ、フィールドワークで最初に訪れた ときの印象が大切だと思う。最初に感じた「そこ」に立ち返ることも重要ではな いでしょうか。「そこ」があるからこそ、後に調べて現地に行くことで発見も生 まれる。どれだけ能動的に現地を歩けるか、地域に自分の身を置けるか、中から の視点を持てるかは重要だと思う。 羽藤:人間が自分の足で土地にたったとき初めて感じ取れること、知識を持つこ とで生まれる理解を今日的な価値の中で再編集していく際、その人となりが持っ ている生活体験の豊かさが大きく作用するように思います。 柏:都市計画のロールプレイでは、デザイン事務所や交通事務所が数値やデザイ ン案を先に示すべきか、市役所がトップダウンで原案を示すべきかといった葛藤 がありました。だけど結局は、最後にスケジュールがわーっと動いてしまった。 交通事務所は3人で動いて、市役所は9人いたから、人数を絞って議論しやすい 単位にして考えることが大切だったように思います。同時に意見を共有するべき だった。スケールや観ているものの違い、そこから生まれる多様な視点を共有し、 ざっくばらんに議論することでしか深みのある提案にはならない、それがこのス タジオを通じてわかったことです。 羽藤:今後に向けてはどうでしょうか。 柏:まわりの都市の取り込みがうまくいかなったのかもしれない。地域格差や人 口減少を背景にプランニングの方向性を絞り込みましたが、時間軸でみたときの 地域像の進展をバックキャストで考えたり、バス路線や交通行動パターンの変化 を漸次的に示すことができるとよかったと感じています。 川口:もちろん組織づくりの問題もあるんだけど、議論するときに地図に落とし て手を動かしながら議論できなかったのは大きかったのではないか。手を動かし た作業が足りなかった。言葉だけ、統計だけの議論は簡単だけど、地図上で考え られない時間が長かったのは反省すべきだと思います。僕自身は、現地にいって 感じられる直感を大切にしてプランニングを進めたかった。最初に直感だけで何 かしら計画をして発表する場を設けていけばよかったのかもしれない。 羽藤:将来、今回のスタジオの成果をもとに、自分の故郷の都市計画に取り組む としたら、うまくできそうですか。 山川:今回のスタジオを自分の故郷の中津に生かすとすれば、中津では、観光客 と地元の融和が重要になってきているように思います。中津城に観光案内所がで きて、黒田官兵衛の大河ドラマの影響なんですが(笑)、だけど地元の人と観光 客の間にはやっぱり大きなギャップがある。たとえば、道を観光客の人から尋ね られると、福沢諭吉が好きなんだけどと言われる。でも地元の人はよくわからな いんですよね。住んでよし訪れてよしという考え方をプランニングで議論しまし たが、そうした考え方がいかせるのではないかと思いました。 羽藤:都市計画家は町医者のようなもので、適切な処方箋が選択できるかが大き いように思います。そんな中、マネジメントはどうあるべきでしょうか。 山本:僕は、スタジオの中で実際にプランニングを行っていく際、締め切りが大 切だと感じました。前半、なあなあで議論を続けた時期があって、15人のスタ ジオ受講者は全員自分で作業量を管理して、仕上げる能力はあったにも関わらず、 締め切りの設定がうまくいかなった。意識してやればちゃんとできるレベルがあっ たのではないかと思います。一方で議論したものを形にして共有していく必要も ある。議論の内容だけでなく市役所が考えている方向性が正直よくわからない時 期があった。結果として、議論を壊してしまうかもしれないと感じて、こちらも 疑義を示したり、意見することも遠慮してしまった。だからチーム間で連携する ためには議論の見える化も重要だと思う。 羽藤:山本はマネジメントがうまいから(笑)。その一方、個人の専門性の強度 が重要になる場合もあります。 森田:みんなでやること、一人でやることのバランスが重要ではないでしょうか。 私は自分の関心を貫いて取り組んだけれど、その中で、自分の興味・関心が他の メンバーとどう違うかというと、私はこいうことに関心がある、他の人はこうい う関心がある。そこが明確になって初めてだから自分はこれをやろうという責任 感が生まれるのではないでしょうか。そうして自分の思考パターンにそって作業 に粘り強く取り組むことが大切だと思う。もちろんそうやって一人でやれないこ ともあります。マスタープランはそう。決して一人でできない。他人と一緒に考 え作業することが必要になる。そのとき「軸」を議論する、そして「軸」を共有 する時間が重要だと思う。全体プランの軸が決まることで、はじめてフィードバッ クもできる。それを繰り返すことが大切だと思います。 羽藤:個人差もありますよね。 小見門:グループワークの難しさは、出来る人は出来るんだけど、自分なんかは それだけだと深まりが遅かったと感じています。今回市役所は最初9人でやって、 全員の意見を平等に拾うのは無理ということになり、議論の枠組みがだんだん決 まっていったように思う。早めに議論の方法を判断することが必要だったかもし れない。 川口:過度に役割にこだわりすぎたかな。 小見門:市役所内部が紛糾して、もう無理だとなったじゃないですか。あのとき 市役所内部を班にわけて、コンペという方法をとることになってしまい、グルー プワーク瓦解の危機があったんだけど、そうした状況に陥ったからこそ、がんば る人がでてきた。どこかで経験すべきだったことのような気もしています。今だ からいえることかもしれませんが。 ▲夏学期スタジオでは、建築家の乾久美子さんをはじめ、設計領域の新堀大祐さ ん、日本設計の萩原拓也さん、横浜市の桂有生さん、国土交通省の菊池雅彦さん などから講評をいただきました。ありがとうございました。 羽藤:似たようなアイデアをもつ人たちでチーム編成を行い、効率的にプランを 収斂させていく方法も可能ですが、意見の異なる人たちがぶつかり合いながら、 みんなでひとつのプランをつくる体験が必要だということでしょうか。 北川:私は、全体を通して一番楽しかったのは駅のデザインです。空間構成を所 長と議論したのが楽しかった。自分が一番やりたい場所を素直にやってるのが心 地いいと気づいたんだけど、その場所を速いタイミングで三人で考えるというこ とが出来なかった。そのことに悔いが残る。私は一人でつくるものに対する満足 度が低い。みんなでやるほうが深みもあるし、満足度も高いように思います。最 後はデザイン事務所として、パネルのイラストを描いているとき、みんなの考え たことの価値を高める働きを自分がしていないという悲しみがあった。能動的な 態度をとれなかったこと、悔いが最後にのこった。積極性が重要なのかもしれな いと、今なら思います。 羽藤:アイデアは個人が思いつき、深く都市のことを考え抜くことでやっと形に なっていきます。そして最後は使い手である住んでいる人々とその風景を思いや ることなく成立しえません。何に注目するかは個人のセンスとしかいいようがな い反面、他者のまなざしから学ぶことは確かにできる。誰かが描けば、そのスケ ッチを通じて対話が生まれ、密度をあげて考えるべきポイントを具体的に教えた り、議論することが可能になる。チームで取り組む際、プランを豊かにするため に、自分とチームに将来何が本当に必要なのか、もう一度考えてみてください。 森田:夏学期、私は市長役だった。模擬WSで、いきなり全体のことを考えて喋る ように言われて、とまどってしまった。あの時点で私は部分のことを考えてたか らとまどってしまったんだと思う。今でも夏学期の時点でみんなで議論したこと、 取り組んだことがどう生きたかはわからない。都市を考えるとき、全体を考える 視点をもたないといけないということは今になればわかる。だけど、あの時点で は実感をもってはみんなに伝わっていなかったのではないでしょうか。 羽藤:都市全体のことを考える機会は、そうそうあるもんじゃない。学ぶべきタ イミングはあると思うんだけど、震災直後に取り組んだ復興都市計画では、完全 な状況で臨むことは寧ろ少なく、取り組んでいる途中や、後になって気づくこと も少なくありません。これで終わりと放り出すことなく、部分と全体について厖 大で正確な知識を絶え間なく身につけようとする姿勢に加え、個人や集団として の気づきが重要になってくるのだと思います。 柏:今回、旧市街、横浜駅、郊外、子安浜といった個別敷地のことを考えながら、 全体を見続ける人、交通計画とデザインという専門的な視点を交えて、みんなで まとめた。なんだろうなあ。。うまくいえないんだけど、、だけど結局、市役所 の議論が一旦ぐちゃぐちゃになったのがブレークスルーのきっかけになったよう に思います。立場を入れ替えて議論した「非中心化する横浜」の模擬討論会もよ かった。現地で飲んで話す、心理戦にしないで、どんどん形に出すのは確かに足 りなかったかもしれないけど、やっぱり形を通じて議論することが都市計画では 重要だと思いました。ありがとうございました。