2012年の修士研究座談会

2012年の修士研究のまとめ その2

柿元淳子(東京2050と修士研究)


羽藤:柿元さんは、建築出身でうちの研究室に来て、なかなかテーマ選びに苦労
した印象があるんだけど。M1の頃は何してたっけ。
柿元:M1のときはツーリズムで横浜でやってました。東横跡地の廃線と運河で
自転車や船を使って動線のデザインを考えようってものだったんですけど、なん
ていうか、捉え難くて、、建築と全然違うじゃないですか。廃線跡地のデザインっ
て言われて少しは出来るかなって思ったんですが、どう使われるかだったら捉え
られたと思うんだけど、ツーリズムって正直一体何に着目すればいいかがよくわ
からなかった。建築的にやろうとすると歴史研究だったり、あるいはアンケート
やって気持ちの変化はなんとなくわかっても、じゃあ空間に着目して、どう働き
かけて、ツアーに挿入するのか、そのあたりの感覚がずっとわからなかくて悩ん
でましたね。


▲東横跡地プロジェクト(横浜CYCLE×CANALツアーを交通班/BPAと企画)

羽藤:M2になってから、東京2050の中心になっていくんだけど、あれはどうい
う経緯でしたっけ。
柿元:ふってきた(笑)。自分の研究の方がその後にきて、東京2050が先にあっ
た。東横跡地をやっていた横浜のBankARTに比べて、東京ワンダーサイトは専門
家色がつよかった、好きかどうかは別にして、Kimcityの八束さんのプランなん
かはすごくインパクトあったし、プログラム的には曽我部さんのもすごくよかっ
た。Kimcityは東京湾岸に移民を誘致して高層ビルを作るというものでした。日
本の高度経済成長期に描いていた未来像みたいな感じなんですけど、他人になん
て言われても、あーこういうことをバンと言って、理想を出すことが大事だと感
じました。曽我部先生のはプレゼンの力がすごくありました。横浜寿町。あーも
うでも忘れちゃってるなあ。

羽藤:建築は都市から撤退してしまったという話がある。敷地の中のデザインに
留まるようになった。数理は趣味になり、構造計算以外のプログラミングはデザ
インと交わらない。それぞれ専門が個別領域化していった。北沢先生は、そのあ
たりに自覚的な人で、横浜市の実務の中でのアーバンデザインの難しさも、長期
ビジョンの重要性も認知していた。危機意識が強かったんだと思う。デザインと
数理を結合させるために、インナーハーバー2059をオレに手伝えといって、BankART
で芸術家や政治家や行政担当者や市民、柿元のような開発系のチームも交えたク
ラウドみたいな組織も同時につくって、そこに山川とか中村とか草也とか敬士と
かあの代はみんな参加したけど、ああいうことになってしまって、そいう感じの
頃に柿元が研究室に入ってきた。で、いろいろ大変だったわけだけど、、

柿元:とりあえず私はまとめ作業が第一の任務なので、いろんな人がいろんなこ
とを考えて動いているのをまとめてくのはたいへんだと思いました。あれだけの
人数の人の動きをまとめる。20人以上いましたよね。それを、なんだろ、動画や、
模型、パネル、動画もコンセプトがはっきりしないまま作業に突入してしまって、、
でも、アニメーションは、あれがなければ渋谷という町の表情が出てこなかった
と思います。パネルの断面図はどちらかといえば抽象的な未来像が出ていたから、
渋谷の現状の問題や2050までに積み重ねっていく都市の悪い部分を浮かび上がら
せていくイントロとしてあの映像は必要だった。でもその分、作業部隊の意思疎
通が大変だった。でもプロの仕事はさすがにすごいとも思っていて、時間が在る
限りとことん追及していく、それでも間に合わせていくという力強さを感じまし
た。自分の詰めの甘さも感じたし。設計領域さんなんかはしっかり最後まで詰め
てくる。國分さんなんかもそうだけど、頭の中では作業の手順が最後まで見えて
いるんだけど、私にはそれがなくて、時間割が見えていなかった。


▲東京2050 Coding 渋谷(渋谷駅を中心とするエリアの模型作成風景)

羽藤:建築との違いは?
柿元:模型とかパネルは、模型の表現の方法ですけど、錆びさせるとか、建築に
いたときよりいい意味でなんでもありでしたね(笑)。表現の仕方として見てい
る人にわかってもらえればいいだって気付かされました。私は建築出身だから、
卒業設計も白建築でやってたんですが、木造建築で白模型つくってもやっぱり感
じは違うじゃないですが。表現の仕方を東京2050で学んだ。今後の仕事でもそれ
は生きると、勉強になったと感じてます。それに比べると、パネルはやりきれな
いところが多かった。サイズの確認ミスとか最後に起こって先生や佐多さんと2
徹で、最後は動いてなかったけど(笑)、これは皆さんの力も大きいし、逆にい
えば密度が高くて詰め込み過ぎた感がある。考えている量は相当あるんだけど、
もう少し見る人にやさしいパネルでもよかったんじゃないかと思います。B4の
力は大きかったですね、バランスがとれているって感じました。

羽藤:実際の空間で起こっている現象を大きいのであれ、小さいのであれ、何か
理論と関連付けて考えていくプロセスはおもしろい。起こっている現象の背後に
ある関係を、まぼろしをふりきって、データつくるのは大変だけど、時間もかか
るけれど、まあそうやって、そこからわかったことを、現実の空間においてみる。
そうして見えてくること、うまくいくこと、いかないこと。それがデザインや理
論に影響を与えていくのではないかと思ったりもするんだけど。

柿元:えーと、逆にいうと正直建築との違いはあまり感じなかった。私も卒業設
計やって、建築だとなんだかんだで最後はアーバンデザインの話になってくるじ
ゃないですか。でも本当は数理的な根拠が入ってきて、全体の中の部分みたいな
ことを考えないといけないんだけど、というのはあった。そういうのをこの研究
室で表現できたのかなって思いました。デザインと数理は普通分裂してるじゃな
いですか。でも羽藤研ですべては交わるように取り上げられたのがよかったと思
うんですよ。シミュレーションなんて私は得意じゃない。でも、こういことを数
字で考えていかないといけないと思ってこの研究室に入ってきたから、それはよ
かったです。

羽藤:丹下さんの東京計画1960では、広場の配置やネットワークの接続に理屈が
ある。昔は今ほど数理とデザインは分離していなくて専門学校でManheimとAlexander
(当時はハーバード)が共同でThe Design of Highway Interchangeみたいなこ
とをやってたことも影響していたんだと思う。IBMのコンピュータの出始めの時期
でHierarchical Decomposition of a Set with an Associated Graphみたいなこ
とを1950-60年代は考えてた。交通はそっから行動モデル夏の学校にも来てもらっ
たMosheがノーベル賞をとったMcFaddenとビルディング1で行動モデルに昇華させ
ていったし、Alexanderはパターンランゲージに行った。その後いろいろあったけ
ど、ボストンのビッグディッグプロジェクトで、エメラルドネックレスのデザイ
ンの前にシミュレーション技術が使われたり両者は今も関係している。

柿元:私自身の中では、デザインだけではダメというか、移動を扱うにしても定
性的なとこじゃなくて定量的なとこを扱えないと、今後そいうこともしていかないと都
市が発展していかないというのがあった。欧州調査に行ってみて、ベニスが私は
よかったんですけど、あそこって結構広くて車が入らないんですよね。陸地と島
を境界の駐車場で一旦停止させて、中は徒歩と船なんですよね。すごく歩きやす
いって思いました。モロッコも迷宮都市なんですけど、両者を比べると断然ベニ
スなんですよね。街路が階層的で、観光客も歩きやすい。住宅地には細街路、そ
れからメインの道路、ネットワークの階層構造のよさを、モロッコにいって気付
かされました。


▲東京2050展示会場(モニターをパネルに組みこみ作業中)

羽藤:学会発表はどうでしたか?
柿元:景観デザイン研究発表会は、あれがM2の冬になかったら終わってなかった。
追い詰められ感が半端なかった(笑)。最初は東京2050もやったので、マイクロ
シミュレーションで街路幅を変えたらどうなるかというのを修論でもやるつもり
だったんだけど、景観デザイン研究発表会では、歩行者に着目した空間の類型化
だったのですが、オチがつかなくて、オチ探し(笑)。学会のオチは、結局歩行
者が街路をどう使っているかが重要で、魅力的な街路では多様な行動が生まれて
いる。一方、均質な使われ方をしている街路空間は、同じような行動をしている
から他の人は入っていきにくいという話でまとめた。

結局私は、建築寄りなんですよ。どっかで空間に固執してる。オイラー的にみる
といってもいい。プローブパーソンも使うんだけど、場所性に着目する性質なん
です。プローブパーソンで細かく見るというのが最初は新規性かなと思ってたん
ですけど、でもネットワークで考えるっていうのが思いの外難しくて、それでずっ
と悩んでた。移動は本当に難しい。北川さんがやってたみたいな空間と人との相
互作用ならわかるんだけど、ネットワークになってしまうと空間設計に結び付か
ない気がしていた。マクロな都市の話はわかるんだけど、そこをミクロな空間設
計とどうしてもつなげたかった。でも、なかなか2年だとどうしても難しくて。。

羽藤:で、いよいよ怒涛の1月。
柿元:あそこで、一番苦労したのがデータセットです。データをつくるのがあん
なに大変だとは、、元データが2006年のデータだったので、リンクごとに景観変
数などはまとめられてしまっていたんですが、私は街路単位よりももっと細かく
やりたかったから、プログラミングでモデルが回るようにするのが大変だった。
データが出来たのが結局1月中旬(笑)!

既往研究をまとめつつ、Javaで書いたコードで計算しつつ、だけどデータ数もた
いしてないのに回らないんですよ。最後の2週間で殆ど書きました。発表のとき
はまた修正して、一番言いたかった、空間設計に結び付けられるような何かを明
らかにできたのが嬉しかった。自分が今後実務をやる中で、こういうものを考慮
していけばいいんだ、そいう知見が得られたのがよかった。それが一番よかっ
た。即物的な女ですから(笑)。アカデミックな部分がデザインに生かせていな
い。それを本当に文献を引っ張ってやるようにしたいなと思っています。長期の
データは生かしきれなかったので、そこは反省です。渋谷に限らずいろいろ、今
後に期待しています。

羽藤:就職先では何するの?
柿元:鹿島の開発事業本部です。鹿島を選んだのは、他のゼネコンも勿論開発部
門持ってるんですが、オーナーが建てたいが基本でそのコンサルタントを得意と
してるのに対して、鹿島では、自分で土地を買って、コンセプトをたててやって
いく。その中で、移動空間というのをもうちょっと考えた開発の在り方をしたい。
一個の敷地内で一個の建物を建てて終わりじゃなくて、都市の流れを読んで、都
市の流れを呼び込むような設計がしたいと考えました。

羽藤:こういう仕事がしたいってのはあるんですかね。
柿元:東横跡地のプロジェクトで取り組んだ横浜の日産本社ビルの谷口さんの仕
事とみなとみらいウォークが頭にあります。ああいう空間のポテンシャルとイン
センティブを読み込んで、都市に対して開いた敷地を考えていくのがいいなと思
っています。あと私はなんだかんだ、ひとつ大きなものを建てたいんですよね。
いい大きいものを建てたいと思っています(笑)。

アーバンデザインみたいなことを考えるとき、塚本さんのデザインはすごく好き
なんですけど、都市の中で考えてはいるんだけど、どっか「こう言われている」
という提案だと思うんです。でも私はそいう建築の詰め方じゃないと思ってるし、
自分で研究してきたっていうのがあるから「言われている」ではなくて、「本当
はこうだ」っていう研究をやったから。大きくはないけど、渋谷でやったから若
干なんだけどわかったかなって思う。そいうのを大切にしたい。建築の中でデザ
インやってる人は私がやったようなことは絶対しない。一番の主軸は建築。でも
私はどっちかっていうと敷地の中に道ができて、その空間に建築が関わっていく、
今後の仕事の中で、そういう空間を先に考えたいと思っています。


▲しまなみクルージング(波止浜のドッグから大崎下島を目指しました)

羽藤:最後にネタなんかない(笑)
柿元:今はうちの研究室も建築出身者が多くなってきたんだけど、福士さんとか、
でも私が研究室に入った頃は誰もいなくて、研究に関してはM1のときに研究室
に入ってどうしようって正直思った。研究のことはわかんなくて、同期はみんな
理系で、いつみさんも理系女子だから、なんかどっか居場所がない感じだったん
ですよね。

羽藤:そんなもんかね。
柿元:先生に東京2050を任せてもらったじゃないですか。あれがあって、研究が
解決したわけじゃないんだけど、この人はこういうこと感じているというのがな
んとく薄らっと見えてきた。自分の落とし所、立ち位置がはっきりできたんです
よね、あそこで初めて。それがよかったと思う。

うちの研究室の中だとシミュレーションやモデル研究してる人が多いじゃないで
すか。全然違うことやっもいいのか自信がなかったんですよね。ツーリズムも自
信が結局なかった。こういうことやってもいいんだ、こういう人でも数理的なこ
と考えて、デザインもやって、こういう研究室で中間領域でやっていいんだ。そ
う考えると楽になった。

羽藤:数理だけでもないしデザインの話だけでもない、同時に今のままのアプロ
ーチじゃいけない領域で、なかなかそいうわけのわかんないことをやろうって学
生さんって案外出てこないんだよな(笑)。自分でもどういう手順で、どう教え
ていいかもわかんないし、今も模索しているからってのもあるんだろうけど、、
柿元:私には申し訳ないというのが最初にあって、数理的なことはもちろんやり
たかったんですよ。でも、どっちかしかないと思いこんでいて、数理かデザイン
か、でも建築で思ったのは、バックグラウンドがなくて、どうしてこれが動線な
のか、なんでそう自信を持って言えるのか、それがずっと気になっていた。だか
ら数理的なことがやりたいと思ったんですよ。ハードアプローチだと思う。でも
そうことをずっと思っていた。適性の話だけど、オマエは自分探しやってるなあ
と先生にいわれて、それがあったから、就活は全然楽しかった。何がしたいかは
本当に迷わなかったんですよ(笑)。

羽藤:最後になんかどぞ。
柿元:最後にですか、、東京2050ってこの後どうなるんですかね?正直、、今も
モヤモヤを生み出している感じ。続きがある感じ。心残りですね。


▲風景づくり夏の学校(コミュニティFMラヂバリの取材で大山祇神社にて)



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