2012年の博士修士研究座談会@羽藤の居室

2012年の博士・修士研究のまとめ その1(たぶん続く)

大村朋之(M2)×原祐輔(D3)

羽藤:修論おつかれさん。原くんと大村君は二人とも3年間研究室で過ごしたん
だけど、どうでしたかね。
大村:僕は、位置ー加速度情報を用いて、交通機関を識別し、移動負荷を予測す
る方法の開発っていうテーマに取り組んだんですが、都市空間上の人々の移動履
歴のデータ処理が、既存研究と全然違ってて大変だった。相談相手がいない感じ
で(笑)、三谷さんが最後まで付き合ってくれて助かりました。てこずったのは
プログラムなんですけど、従前の研究はGPS情報でなんとかしようという話で、
だけど歩行者や高齢者の都市空間における動きを考えると、GPSだけだと難し
いわけじゃないですか。そこをどう分解能あげていくかに手間どった。解決した
とは思ってないんだけど(笑)、

羽藤:卒論から、チャレンジドな方々の生活圏に着目して、ずっとこのテーマで、
障害を持った方と二人三脚で一緒に調査を行ってましたよね。
大村:卒論の取りかかりは思いのほか遅くなってしまって、仕上げないといけな
いからという感じで〆切までに兎に角仕上げたんです。GPSの行動データは軌
跡データであとは付き添わせて頂いて聞き取りして一対一で手作業で対応づけて
分析した。マップマッチングのコードだけもらってもいじれるわけないので、手
作業でICレコーダーでつけて分析してました。その時はそもそもチャレンジド
がどういう人がわかんなかった。健康医療福祉都市とかいっても何が政策になる
のかもわかんないし、いろんな自治体が主張する政策の意味も、画期的だという
けど評価のしようがない感じで、正直うまくいっていないように見えた。

だけど、障害がまだ残っている一人の人とずっと付き合ってデータを取らせてい
ただいて、研究対象は一例に過ぎないと思いながらやっていたんですけど、途中
からそれでも新しい発見はあったんです。自分では意識してもみなかったけど、
だけど公園の木の根っこがいやだみたいなこと、ああいうのは調査する前はわか
んなかった。それから、遠くまで兎に角歩いて帰りはバスを使う。自分の行動圏
域をどうにかして拡げようと頑張っている人だったということがわかった。被験
者の方に本当に助けられた卒論でした。


▲東京2050の模型作成風景(大村模型リーダー作)

羽藤:被験者の人と1対1で向き合うって僕らの分野だと意外と少ないよね。
アンケートでがさっととって集計分析しちゃうとか、理論でこうでしょってのを
一方的に押し付けちゃうみたいなところがあるから。でもそいうやり方だと絶対
届かないものがある気もするんだよね。ちゃんとその人が何に困ってるか実際に
向き合って、理解したことを重ねていく、そいう方法で都市計画の見え方も変わ
ってくる気がしています。
大村:だけど、実際には何をやっていいかわからなかった時期が長かった。M1
の時はデータを兎に角集めるということでやっていたんですが、そこで感じたの
は、自分が考えずに取り敢えずやったことが、現場で踏襲されていくっていう怖
さ。それでいいのかという葛藤もあって、、取得できてもデータを生かせない。
当たり前なんですが、そのあたりを自分でちゃんと考えて提言できればよかった
んですが、そこは反省点です。

羽藤:M2の頃はどうですか?
大村:M2の10月くらいまではどうしよう、どうしようって感じです。全然進
んでなかったんですよね。オケも週末やってましたし。ただそれまではBCALs使っ
ていたんですが、スマホを8月に買って、加速度計測を自分でするようになった。
そこから自分の行動結果をその場で確認できるようになったんです。日常を計測
して坂道に特徴があったり、登り下りで加速度の出方が違う、それから加速度周
波数が高いと精度いいと思ってたんだけど、どうも違うとか。位置データを取り
続けていると観測点の前後も当たり前だけど入れ替わるんですよね。電池もなく
なるし(笑)。頃あいってのがあるんだな。と実感しました。じゃあ、そいうこ
とを組み込んだアルゴリズムを開発しちゃえばいいってなって、やっと現実感の
ある関心を持てた。

それでも、じゃあどうするかと考えていて、三谷さんと植村さんとスマートグリ
ッドの住宅内の行動予測をしようという話をしていて、家庭内は基準となる位置
の判別問題があって、階段の位置を基準とするとか、電子タグを置くとかそいう
コントロールポイントが重要になるんですが、そこさえ決めれば、その2点間を
加速度で按分して決めていける、加速度の振幅で水平方向の距離に割り戻してい
く方法を思い付いた。あそこがターニングポイントでした。

そこからいろいろ関心をもつようになった。修士論文では、具体の都市政策に結
び付くか、何をやればいいかすごく悩んだ。本当なら分解能を上げたかった。で
も、すぐには出来そうにない。ただのデータ屋さんになりたくないし。4月から
行政に携わるものとして情報機器がダメだというわけじゃないけれど、ツールを
通じて便利になっていくってことをストレートに受け止めた研究にしたかった。
それでぎりぎりになって運動負荷の予測に持っていくことにした。


▲尾鷲夏合宿(紀伊長島のゆうがく亭にて)

最終的には主活動選択と活動量(METS消費量)の離散連続モデルを推定した
んですが、買い物、通院型、公園・公共施設と活動量の離散連続モデルまでやっ
た。要するに生活パターンというか圏域の選択と活動量が入れ子になって予測で
きるモデルを作った。生活圏域が狭いけど沢山歩いているとか、都心居住になる
と歩行距離はどれくらい伸びるとかそいうことを予測するモデルです。

健康医療福祉都市はB4の頃正直よくわからなかった。まさか3年かけて自分が
やるとは思わなかった。先生が、最初からBCALSで隠れマルコフで状態推定
をっておっしゃっていたのをぼんやり覚えているのですが、最後の最後は自分で
も不思議に粘ったと思います。愛着が出てきたっていうか、ま結局最後数日はタ
イトルを指導教官に盛られたせいであがいたような(笑)、ジュリーで何人もタ
イトルで突っ込まれているんで、そこでなんとかしなくちゃいけないと思ったっ
てのが正直なところです(笑)。

羽藤:学生の頃ってテーマがピンとこないんだよね。それでもだんだん社会人が
近づくにつれて、自分は何と向きあうかっていう意識が合致していく時期が来る
んだろうとは思ってボールを投げてるんだけど(笑)、実際には前段階の
Technical Detailとそいう問題意識をつなげるのが大変というか、、
大村:謎の数字の羅列(笑)!!生データがもう本当によくわからない。正規化
されていないから、生データを丸めているのが問題なのにどうしようという感じ
で、最後にやっと速度に変換して使うことができた。そもそもは、データ加工が
まず大変で、実測しながらどう波形が出ているか、軸がずれているときの対処の
仕方、結局幾何情報の知識を総動員してアルゴリズムを考えた。もちろんアンド
ロイド用のツールはあるんだけど、データ正規化しないといけないから、プログ
ラム作成で8月からやって、コードが書けたのが11月頭で3カ月、しんどかった
です。そこからは整ったデータを扱うことになったので、SVMやHMMはM1
の時のゼミでやっていたので、M2の集中論文ゼミでマイクロソフトリサーチの
比較検証論文を読んだのが役に立った。意外につながってたという感じです。離
散連続は正直に無理やりRでコードを書いてなんとかという感じですかね。

羽藤:データオリエンテッドな研究は、作業は地道なんだよね。幾何の知識が大
事ってのはアルゴリズムは大抵そうだけど。
大村:山川さんが言ってた、モデルの知識やプログラムは切羽詰まった時に生き
てくる。そんときになって勉強しても間に合わない。SVMやHMMも最後に扱
えたのはなんだかんだで過去の経験が生きているんだと思います。合宿ゼミでや
っていたのは大きかったと思う。たぶん、最後にいきなり先生から言われてもや
らないというか、やれないと思うんですよ。

羽藤:研究室で印象に残ったことは何ですか?
大村:オーケストラを僕はやっていて、B4から研究室主体になっていって、な
かなかなれない部分もあったんですが、オケの中でツアーや運営にかかわってい
たから、それでも遠征中に迷子になる人はメンバー100何人もいて一人もいな
かった。先生と一緒に行ったたった5人の欧州調査でパリの地下鉄乗り換え駅で、
1人、3人,1人に別れてしまったじゃないですか。あれはびっくりでした。斉
藤が財布失くして、柿元が迷子になって、僕と戸叶と先生が間で、いやどっち探
しにいきゃいいんだよって(笑)。まあ最後斉藤に財布買ってやったりして。
羽藤:ぷぷ(笑)



▲欧州調査(ビルバオにてM1全員で)


大村:それと行動モデル夏の学校で、みんな徹夜で共同作業してるってのはすご
いなって思います。あれが全国から学生さんが集まってもう10回続いているの
はすごいですよね、、実際には計算して、議論して、基調講演きいて、発表しな
きゃいけない。正直つらいと思うんだけど、みんな文句言わないでやっている。
あれは思い出に残っています。

それと最後に4日間先生と愛媛と気仙沼と陸前高田に行ったじゃないですか。関
係していた人たちにお礼をしてまわったんだけど、あれはとてもよかったです。
森さんとか、修論提出50時間前にデータ属性を送ってといったら、送って頂い
て、本当に助かりました。いろんな人にお世話になって修士論文が出来てるんだ
けど、案外お礼をいう機会はないから、僕は最後に挨拶できて、それがすごくよ
かったと思っています。

被災地は、正直衝激を受けてしまって、だから酔っぱらったわけじゃないんです
けど、なんだか、、正直震災によって僕自身は就職の方向性が変わってしまって、
それまで高齢者を研究でやってても絵空ごとで実感がなかったのが、あの震災で、
僕は現実を受け止めるようになったように思う。今起きてることを受け止められ
るようになった。ちょっとあれだけど、、なんだかんだで自分が大切にしている
のはこの日本という国で、自分だけがよかったらいいわけじゃない。みんながよ
くないとなんか僕はやっぱりモヤモヤする。一企業のお金儲けよりは国益のため
にと思っている自分がいる。

先生と一緒に旅してたから内藤先生から教えてもらうこともあって、総務省に就
職が決まったという話をいろんな人に話をするんだけどどの話もピンと来なかっ
た。だけど、気仙沼の復興屋台で、内藤先生が教えてくれたんですが、あの話に
自分の感覚が共感しています。内藤先生曰く、「まちづくりには時間がある。第
一の時間は被災地でその日その日町で暮らしている人の時間がある。第二の時間
は100年後を見据えた行政の時間がある。そこを結び付けるのがまちづくりな
んだけど、実は大村3つ目の時間があるんだよ。それは情報の時間なんだ。第3
の時間がそれらをみんなをつなぐ調整触媒となる。それが大村の仕事なんだ」と
言われました。総務省いくってという通信だけっていう見方をする人が多い中で、
僕はそういう話を個人講義みたいな感じで、屋台で内藤先生にしてもらって本当
に嬉しかった。共感できた。気仙沼の屋台でいい経験をさせてもらいました。


▲一関から大船渡線で気仙沼へ

羽藤:山川もプログラムの方に進んで、だけどオレは都市をやりますよって言っ
てたね。内藤さんの話はすごく共感する。まちづくりでは、一見地味で役に立た
そうにもないことが、最後は大切だったりする。目に見えることばかりじゃなく
て、目に見えないそういう地道なところをやってこうって人がいてくれるといい
なと思います。最後に何かあればどうぞ。
大村:やっぱり研究室に入って、いろんな人に恵まれたと思うんです。田子ちゃ
んが居て、それから大学院になって、戸叶、柿元、斉藤と仲間が増えた。一回み
んなで飲みに行ったんですよね、10月終わりかなあ。。研究しない会議みたい
な名前で、みんなに詰まってたから。で話してみると、やっぱり自分の研究にみ
んな真剣に悩んでるみたいな話ができた。みんな4月から働くんだけど、今やっ
てることは実社会との関係性があるのかないのか。残りわずかだけどどう過ごせ
ばいいか。そういうことを話しました。モチベーションの話もしたかな。みんな
の仲間意識が生まれた気がします。3年間は楽しかったです。もう少しちゃんと
やっておけばよかったかなと今は思いますけど、、兎も角、3年間本当にありが
とうございました。




羽藤:博士論文修了ごくろうさまでした。副査に京都大の小林先生、社会基盤の
清水英範先生、それ以外にも東北大の赤松先生や、夏の学校ではMITのMoshe
Ben-Akiva先生からいろいろコメントもらったりして、いろいろ指導を受けた3
年間でしたが。
原:僕の博士論文では、新しい交通サービスとして料金体系を調整するメカニズ
ムを考えるというテーマに3年間取り組んだんですが、自分が考えたかった問題
をじっくり考えられたのは楽しかったんだけど、その逆に答えが出ない部分もあっ
て、そこは反省になると思っています。

羽藤:従前のオークション理論を交通という問題の中で再整理するということで
始まったわけですが、あらためてどういうテーマだった?
原:オークションというと絵画オークションとかのイメージで、普通の人はお金
儲けの手段と考えるかもしれないんですが、実は供給量を調整するために価格を
決めていくメカニズムだと言えると思います。だから交通に当てはめると、移動
需要にあわせて価格をうまく変動させることで、みんなにとって望ましいサービ
スを実現するためのツールだということになるわけですよね。

羽藤:容量を越えた需要が渋滞を引き起こすというのが20世紀の交通システムの
考え方なのに対して、需要の側で予め互いに調整させてやる制度を設計するとい
うアイデアが博士論文のテーマとして設定したわけですが、それゆえ難しいとこ
ろも、、
原:オークションという仕組みはヤフオクやe-bay、公共工事の入札などでも既
に存在しているし、理論研究も蓄積がある。でも、都市交通の中にオークション
を入れていく場合、現実のサービスと理論の間には隔たりがある。オークション
はシステムとして実装するのは難しくないんだけど、理論と実装の両者のかい離
をどう埋めるか、どうつなげるのか、そこのところが難しかった。理論的に望ま
しい性質をもつ実装とは何かということを考えるのに苦労しました。


▲しまなみクルージング(今治ラヂバリの番組に参加)


羽藤:耐戦略性や効率性の問題を、モビリティオークションとして、頑健な形で
どうすれば実装できるかってことになると思うんですが、現実にはいろいろある
わけだけど。
原:たとえば合理的に意思決定をしているという仮定でモデルを構築したとして、
オークションで望ましい価格が一意にみつかるわけです。正しい選好を顕示する
ということが理論上は重要というわけですが、でも現実の行動はそんなに合理的
ではない。不確実性もある。そいう現実を理論に持ってきてもうまくいかない。
だから望ましい価格や割りあてに近づけるためには強い理論をうまく緩和してい
く必要がある。そこを考えなければいけないということを博士論文を書いて、改
めて実感しました。

羽藤:東北大の赤松さんが高速道路の利用権取引制度の尖った研究をやっていた
んだけど、こういう時代だから「実装なきものは無力」みたいなうちの研究室の
空気もきっかけの一つになって、D1の頃にテーマが決まっていったわけですが、
経緯を聞かせてください。
原:もともと、修士の頃から都市の中での人々の自由な移動や行動をした結果生
じる問題に関心があって、中でもそういう問題を解決できる制度設計をやりたい
と思っていました。博士になって先生の研究室に移って、横浜の自転車やEVの
共同利用社会実験をやってたのがきっかけになって、そういうサービスを単純に
儲けられるというより、都市交通をどうよくするかという視点で考えて、まず料
金問題を切り口に考えてみようと。で、東北大の赤松先生がやっているボトルネッ
ク通行券という概念が理論研究としてあるのですが、そこを実証面から攻めてみ
たという流れだったと思います。D1の頃は横浜の自転車の共同利用システムで
移動利用権をオークションとしてウエブ上で取引を行ってもらって、被験者内で
効率的な再配分が行えるかという社会実験を行い、PP調査をして日々の活動履
歴が計測結果を用いて、誰が販売するか、それと現実の行動の関係を分析しまし
た。

羽藤:D2の頃はどうでしたか?博士から来たということで時間がない中、国際
学会の発表であわただしく時間が過ぎていった印象もあるけど。
原:D2は悩んだ時期です。D1のときはデータが目の前にあって、実際に分析
すると、理論研究では考慮できないような、たとえば取引コストやスケジューリ
ングコストの問題が出てきて、実行動の観測からオークションの難しさを実感し
ていました。D2になって、そこから改めて研究の方向性を考えていたんですが、
D2の春から夏にかけて、フロリダでプラインシング、ノルウエイのOR系、リ
スボンの世界交通会議に立て続けに参加したのはいい経験になったと思います。
初めての国際会議の発表で世界の研究者の研究の関心の持ち方に、論文だけを読
んでいるのとは全く違う、国による関心の持ち方に実感を持てるようになったの
は大きかった。実証研究でも理論研究でも、普遍性をもっているのが交通研究の
特徴だと思うのですが、実は国々にそれぞれ固有の問題があって、その問題にそ
れぞれの研究者が対応しているのだと実感した。たとえば、アメリカではHOV
レーンの研究が多かった。もちろん教科書でもそいうのは出ている。だけど単な
る紹介ではなくて、それをどう考えればいいか、何人もの研究者がフィールドで
関わっていて、厚みのある議論が展開されている。そいうものが研究の固有性で
はないかと気づかされた。


▲WCTR会場前(世界交通学会リスボン大会にて発表)

羽藤:論文のレビューに力を入れ始めたのもD2だったと思うんだけど。自分の
研究にどのような作用がありましたか。論文の読み方で工夫した点は?
原:モデルのパラメータ推定のモデルの読み方は修士からやっていたのでわかる
んだけど、解析系研究の場合、過去の経緯、流れのようなものがわかっていない
と、その論文の貢献度が最初はよくわからなくて、、まずは全部論文を列挙して、
一本づつトレースしながら読んでいった。自分が関係している研究がどう拡張さ
れてきたのかを時間をかけて追いかけるようなことをしていた。自分の関心のも
ちようと、ある理論研究が進んできた道筋には当然ずれがあるんですが、その拡
張の仕方にずれがあった。それに気付いた時、そこからまだ先にレビューを進め
るべきか、方針転換すべきか、勉強と研究のギャップに悩んでいたように思いま
す。

羽藤:D2の終わりからD3にかけてはどう過ごしましたか。
原:東日本大震災もあって、自分にも少なからず影響はあったのではないかと思っ
ています。都市とか交通の分野で研究をしているので貢献をしたいと当時は感じ
たのですが、自分がやっている研究が被災地を改善するのかというとたぶんそう
ではない。防災研究をやっていたわけではないので歯がゆい思いがあった。あそ
こで被災地にいったとして、何かをできるか、まずは博士論文を書かないといけ
ないと思った。先延ばしするのもどうかと思ったけど、今の時期はきちんと博士
論文に集中しようと思った。

そこから、八月の中間審査のために自分の個別の研究の流れをまとめる機会があっ
て、まとまらなくて、、でも考える機会があったのは一旦俯瞰的な見方が身につ
いたというか、よかったと思います。そこからまた、10月の中旬くらいに京都大
学の小林研究室に滞在させてもらって、議論したり発表するための準備をしてま
とめていくきっかけがあったのもよかった。東北大でも赤松先生に同じように話
を聞いていただく機会を得て自分の中で博士論文を整理するきっかけを得ること
ができました。最後の流れはD3の11月中旬くらいからで、そこまではオークショ
ンがあくまで需要価格を決定するという捉え方だったのに対して、それだけだと
マクロな価格決定ツールのようにオークションの機能が矮小化してしまうので、
寧ろミクロな個人個人の価格の設計ツールという視点で捉えるともっと性質が取
られられるという指摘を受けて、古典的な枠組みでマクロな需要供給に対して一
意に決まるという話から、それぞれの評価値が異なっていて、それに対して価格
設計をする。マクロではなくてあくまで個人ごとに決まるという考え方にたって、
最後にまとめるところまでたどりつきました。


▲土木計画学研究発表会(徹夜明けの金沢にて)

羽藤:VCGメカニズムを単にレビューとして書いていただけなのを、赤松さんの
指摘もあって証明まで突っ込んで、OD時空間接続の問題として整理することに
なったわけですよね。不十分なところもないわけじゃないけど、あのあたりから
論文の全体骨格が見え始めて、、全体の構成が普通の理論→実証なのを逆にやっ
た形になったんだけど、そいうことの影響があったですかね。
原:実証からアルゴリズム提案、で最後に理論研究になった。一般的には逆だと
思う。実証研究をやる上で、先入観なくできたのはよかったのかもしれない。社
会実験はうまくいかなかった。普通はうまくいくと思うんですよね。でもあまり
うまくいかなくて、その失敗の理由をどう説明しようかと考えた。取引も活発化
しない、料金も固定的だった、そいう現象が起こっていた。通常だと厳密な仮定
を置きすぎているわけですが、僕の場合は先に社会実験ありきなので、その理由
の答えを理論研究に結果つぉいて求めたということなんだけど、それがなかなか
答えが論文の中にはなくて、、理論の性質説明なんかはあるんだけど、そこが最
後突破できていないところで残った。交通行動は将来の意思決定になるので、普
通のヤフオクとは性質が異なる。単純に財を手に入れるというものではない。予
約するという行為が確定させ制約になりうる。だから、そういう交通の固有性が
最後に自分のオリジナルな部分になったと思っています。

羽藤:システムで失敗したって結果を理論が受け止めることが大切だと思います。
その逆もあると思う。結果としておもしろい現象が出てきていたと思うので、そ
ういう体験が生かせるといい。それと同時に、別々にかな(笑)理論はちゃんと
首尾一貫してないといけない。勉強も必要だし、ちゃらんぽらんじゃいけない。
厳密なものだから。そこの間をどう埋めるか。解ける問題だけに集中することは
効率的で力が出るかもしれないけど、敢えて届きそうにないすごく遠くに石を投
げてみる。長い時間をかけて一人で取り組んでいく。そういう人がいてもいいん
じゃないかと思ったりもする。今後の展望はどうですか?
原:僕自身は思考が発散しがちで、おもしろいことがあるとすぐに飛びついてし
まう。博士論文では一つの問題をやって、そこはよかったし、自分の研究スタイ
ルを確立することにつながったのではないかと思っていますが、これからは発散
気味のテーマを少し追いかけてみたいと思っています。考えられえていない問題
を少しづつ考えていきたい。3月からは東北大で勉強していくことになっていま
す。最後になって理論研究の勉強が足りていないので、赤松先生は自分より先に
やっている先生ですから、交通サービスの性質によって考え方は違うと思います
ので、議論によって新しいものが考えられたらと思っています。

羽藤:3年間ごくろうさまでした。最後にひとことどうぞ。
原:カンプ・・ノ?広場??ポカラ??なんでしたっけあそこ。シエナ?カンポ
広場(羽藤)。それです。カンポ広場の空が青くて、みんなで日向ぼっこしたの
覚えてますかね(笑)。あれ印象に残っています。3年間本当にありがとうござ
いました。


▲第二回欧州調査(ロンドンヒースローにて)
(たぶん続く)
==