2015年の博士論文座談会

人の行動を理解する,避難を制御する

浦田淳司(D3)

▲ 9月からDelftで研究武者修行してきます.

羽藤:デーロン,ごくろうさん.

浦田:公聴会が終わって、10日たちましたが、終わったときはまあ終わると思っ
ていなかったので(笑、正直不思議な感じです。昨日も研究室で国際研究セミナー
があってデルフトの連中が来ていましたが、これからは一人でやっていくように
変わったんだなと改めて感じています。

羽藤:そもそも卒論と修論は何やったんだっけ。

浦田:卒論は都市工の都市計画研究室で地域スポーツの研究に取り組みました.
修士で羽藤研に移って、社会ネットワーク分析とゲーム理論を勉強しました。新
居浜の豪雨災害の避難行動データを用いて、M1の秋口からマクロには統計物理の
ボーズアインシュタイン凝縮に取り掛かって、ミクロな協調行動の形成モデルの
研究に取り組みました。

羽藤:浦田が都市工4年のときに五月祭でCity in Roomって展示をやってて.
都市工のよさが出たすごくいい展示だった.あれが浦田の第一印象だな,笑.
その後は?

浦田:コンサルタントで3年間働いたんですけど、歩行者・自転車の計画策定グ
ループで、同級生の敬士がやってた研究に近いテーマで、街路空間のマルチモー
ド断面配分の政策検討業務に携わりました。2年目、3年目も同じようなことを
やっていましたね。

羽藤:博士はなんでやろうと思った?

浦田:修士終わって2年目の年末年始に最初のジャーナルペーパーをASCEに英語
で書いて、土木学会論文集にも投稿したんです.よくわかんないことやるのが好
きなんですかね(笑.会社で同じことを続けていくというよりも、わかんないこ
とに手を出すのが向いてるというか、業務の中で甲と乙の関係があるわけですが、
発注者側が考えらなれないことは受注者が提案するにはやっぱり限界がある、会
社を辞める時、そこを遡ってなんとかしようと、どんなことができるか,わかん
ないけど,根本から考えてみたいと思いました.

羽藤:博士研究のアプローチはどやって決まったんだっけ?

浦田:修士では災害に起こっている行動記述をやっていた。博士1年から2年に
かけて、行動記述だけだと、東日本大震災がおこって、どう避難させるかがクリ
ティカルな問題になってきている中,届いていない気がしました.そこで博士論
文で制御を考えるようになった。制御を勉強し始めました。

制御に取り組むにあたって,まずはネットワークをやろうとした.Dynamic System
Optimalの論文を避難にかかわらず読みまくった。イメージがついたので、ハミ
ルトニアンも研究に直接使うとはそのときは思わなかったけれど兎に角勉強しま
した。

羽藤:そこからまだ見えてないところがあったと思うけど.

浦田:修士1年だった今泉と若林と先生も参加して確率過程、最適化について一
緒に理論勉強会をやりましたね.その後TRISTAN行って、制御がこういう研究に
なるんだイメージが持てるようになった.さらにINFORMSでサンフランシスコの
国際会議に行かせてもらって,ORで面白いことやってる人が世界中にたくさん
いることがわかった。日本のこの分野だとそいう研究者を見ることがないですよ
ね。


▲ 国際研究集会を仲間と企画したり,学会発表も沢山しました.

羽藤:今学会で流行ってるテーマというよりは,自分で考えたということだよね.

浦田:D2で今までやったことをやるなと言われて(笑、DUOなんかのネットワー
ク選択は春大会でやって円山先生にコメントもらってたんですが,一方災害系で
もその手の研究がスタートし始めてて、で最後にORとなった。2007年のIEEEのミ
クロシミュレーション30分まわして交差点制御して、また30分計算する。でもっ
てHorizonを操作する。ミクロシミュレーションと制御を組み合わせて、あの研
究論文は他の人には関心を持ってもらえませんでしたけど,僕自身の中では,実
空間でイメージがピンと湧いた瞬間でした。

結局,博士1年目の中間発表で制御と協調行動のアイデアをまとめて、計画学の
春大会投稿でDUOと一方通行で組み合わせた研究に着地させたんですが,審査は
落ちたんですよね。虱(シラミ)潰しに論文の論理を固めれば通ると思うんです
けど、モデルの仮定がもうひとつで、たとえば,災害時に住民がネットワーク上
で見えない状況をどう認識して経路選択するかとか、そいうところが,その後の
研究の中で行動モデルと制御をどう組み合わせるかに結びついていくんですけど,
災害時の認知行動の不確実性そのものは、まだまだ面白くできそうだと思ってい
ます。

羽藤:ハミルトニアンのパートは苦労した?

浦田:学会があるからその間間に論文化しようとしていたので、継続して掘り下
げて取り組めていないというのはあるんです。勉強したからやろうみたいな感じ
になってしまって,でも,それを神戸で発表したらたたかれて(笑.で,それが
博士論文の半年前です。悩みつつ、他の章も取り組まなくちゃいけないし.そも
そもは,Daganzoの研究を下敷きにして、最後のハミルトニアンという流れなん
ですが,.

羽藤:突破できない時期があったよな.

浦田:M1の終わりに(東工大の)朝倉先生の科研集会があって,(東北大の)赤
松さんが,羽藤さんから,原さんと僕はフルボッコにしていいですからって言わ
れたんでとかいって,文字通りフルボッコにされてしまったわけです(笑.(神
戸大の)井料さんからもナチュラルだから。その会議は参加者全員研究的な意味
で大荒れに荒れてしまって、セッション最後に発表した原さんと僕は修士だった
んですけど(笑、すごく記憶に残っています.

羽藤:仲間内の馴れ合いみたいな研究会が増えてきているから,早いタイミング
で知的に厳密な議論を一度体験したほうがいいと思った.

浦田:研究者同士の討議は,その場で反応するのが僕は得意な方ではないんです
けど,自分が発表してディフェンスしなくちゃいけないセッションと違って、廊
下で話しているときなんかだと、いいところはいい、わるいところは悪いが素直
に訊けるのは学会の楽しみ方ですね(笑.



▲ みんなで野球するのが好きです.


羽藤:副査の先生はどうでしたか?

浦田:(社会基盤の)清水先生にまとまっていないといわれましたが、協調行動
とネットワーク上でネガティブな現象が同時に起こるわけです.そのことに着目
して同時に評価・制御できるような理論、モデルを提案して、実証したのが成果
だと思います。ああいうまとめ方をして思ったのは、研究では,一見すると正の
効果なんだけど,その中に負の効果があるみたいなのが、面白いんだと気付きま
した.

最後は2週間、ぎりぎりで,塚井先生は学会コメントを聞いていて、すごく丁寧
な研究者なので、コメントいただけてよかったです。高見先生もそうですけど、
悩みながらやっている若手研究者なので、オプションの議論ができて、それはよ
かったです。朝倉先生と原田先生は疑問点を聞いてもらえた。自信がないので博
士論文の中で書けてない箇所を説明すると、理解してもらえた。それもいい体験
でした。清水先生は、最後に説明にいって、自分の弱いところ、最初と終わりの
問題設定の重要性とそれに対応した結論が研究者は大切なので、そこの指導を受
けられた。僕は反応が早いほうではないですけど、聞いて、答えて、考えを言っ
て、ちゃんと理解してもらえて、自信ないところに自信を持てた。悩んでいると
こをスレートに、副査の先生にぶつけられてよかったと思います.

羽藤:苦労した点は?

浦田:制御をD2の秋から冬にかけて、自分でずっと考えていて、あの時間は身に
なった。それまでやってた行動の記述とはぜんぜん違うことをやれって言われて、
そこまでで論文の書き方は身についていたんですが,一旦捨ててスクラッチで考
えなさいということになって、当時の研究室には,修士2年の伊藤くんがいて,
研究室の議論のレベルが今と比べてすごく高かった。M1も懸命に勉強しようとし
てた時期で、みんなで知的に新しいことに全力で取り組めた気がしています.

もうひとつ苦労したのは、D3の6月にやったMPECの推定プログラムの実装です。
いよいよ博士論文の最後でアルゴリズムをどうしようかということになって、そ
もそも計画学で投稿したはいいけど,推定上t値が出なくて、、D3なのに(笑。
学会中もその後も,あの頃はとにかくずっと計算してました。小人さんが間違っ
た方向に進むたびにやり直していました(笑.


▲ 卒業旅行ではみんなで豊島に行って,遍路道を歩きました.



羽藤:推定は理論はあるけど,計算は職人芸だからな.

浦田:そもそも理論談話会で構造推定の方法が早いからこの方法はいいというこ
とで盛り上がって実装したにもかかわらず,コードを組んでもぜんぜん速くなら
ない(笑.計画学でも(京大の)横松さんあたりから,災害時は普通と違うから
そもそもEVが安定しないはずとかコメントが出て、あれれとなった.計算しても
出ないのかなあ、と思ってたんですが.それが6月20日くらいですかね。あそこ
から,最終尤度をじわじわ、初期値をかえて、探索方向を複数つくってやった.
藁にもすがる思いで、高い電子書籍を買って、ドックレッグ法で微分して、すこ
しずらす方法で計算が格段に早くなるんですが、

羽藤:毎朝計算結果を一緒に確認してたな(笑.要するにわーっとベクトルを追
加したわけだけど.

浦田:はい,ヒューリスティクスを使ったんですよね。朝倉先生がそこを審査で,
大域的最適化なのか?と言われて。ただ,ベクトルをとにかくつくっていけばな
んとなるとわかった.

羽藤:計算はセンスというか,いかに端折るか,いかに間違いを見つけるかだから.

浦田:最適化って結局数値微分の時点でヒューリスティクスじゃないですか。
Gurobi使えば,とけるかもしれませんが,微分しただけじゃ解けない。

羽藤:なんだけど,もう一回数学的に戻して,問題の可能性を広げるようなとこ
ろがないと研究てつまんないよね.その場で解けてても,大域的にみると,何の
問題解決にもなっていないみたいなことが実務には多いし.

浦田:結局,アルゴリズムは藁にもすがるの積み重ねで、もともとは最適化の理
論があって,それは基本形としてあるということで,モデルのプロポーズになっ
てるし、きれいで、ちゃんとやっていきたい世界がある。だけどDPは均衡や完全
合理性を崩すとなんでもありになる.でもそこからもう一回考えて、アルゴリズ
ムがたてた問題に対してどう有効なのかを考えていかないと、避難の問題に迫れ
ないと思います.

羽藤:どこが面白かった?

浦田:苦労したところはやっぱり面白かったですね。MPECの後に、率先避難の逆
説性、パラドクスでまとめられたのは面白かった。論文で式を理解してるのは、
展開して確認していくのは好きだと思います。添え字で苦労しましたけど(笑。

羽藤:美しい式はいいよな.

浦田:M1のときにBECで数式の解釈できる面白さをしった。単純に解けたらいい
じゃなくて、変数や操作の意味が現象と結びつけながら実感できる。

羽藤:ボーズアインシュタイン凝縮のような物理や数学からはいっていく理解の
仕方が有効な研究もあると思う.実装なきものは無力だけど,理解のない実装に
意味は無いから.


▲ 三原村でナイトウォークで30km歩きました.無茶な指導教官でした..


浦田:僕は博士の時間をつかって結構勉強した方だと思います.修士時代は行動
モデルやって、博士でD1で均衡、最適化を理解しました.この2つはものにでき
た気がします。それにプラスアルファで動的最適化とハミルトニアンをやった。
ゲーム理論と社会的ネットワークはM1でやった理論合宿が自分の中にちゃんと残っ
ています。当時の自分の研究にとって必須ではなかったけど、やったことが生き
ている。比べると制御はまだまだです.ロバスト制御、確率制御、2次錐問題は
試してやってるくらい.INFORMSはDPは近似解法、OR系は雑誌、MLなんかで見て
いるので今後も勉強を続けたい。あとはプログラミングです。実装は6月にやれ
たのはよかったけど、必ず必要なのは間違いないので。

羽藤:基礎はあとで利いてくるから.学会はどんなのに参加したんだっけ?

浦田:修士が4回、博士は国際学会はチリ、香港、ドイツ、台湾、シスコ、国内
は都市計画学会なんかで13回ですかね.国際学会は、モノによって興奮度が違う
(笑。準備との兼ね合いもありますし。ISTTTもみんなが面白がってるのがわかっ
て,国際学会はそいうのがいいですね。研究者同士の知り合いがうまくできると
嬉しいし,コンパクトな国際会議はいい。INFORMSは論文読んで絡んで、ISTTTで
もまた会ったねとか.DSOの研究者でDavisでやってる人と仲良くなったんですが,
自分が主催した国際セミナーにも,チリで話してメイルして、科研Sで日本にき
てもらって、またこの時の縁で,今度は僕自身も9月からDelftに行くことになっ
た。面白いです.

羽藤:海外ではどんなことをやるつもりですか?

浦田:若手研究者の感覚が国内外で全然違う。コンペティティブで競争意識が米
国はすごい。オランダもそう。会議のサイエンティフィックチェアを同世代がやっ
ているのにも刺激を受けます。どうやって生き残るか、論文を書くのは当然とし
て,リーズでもそれはそうですが,若手だとデルフトからリーズに異動するとき、
こんな計算がオレはできるみたいなことを売りにしている。流動性が高い。昨日
も羽藤研にギリシアとイスラエル出身の研究者が来てましたが、彼らは今はデル
フト工科大ですよね.


▲ ラジバリで半年間DJやって,眺めのいい場所を改装して24時間ラジオしました.


羽藤:海外だと実力がある研究者に対しては,安定してて流動性が高い仕組みが
ある.日本も変えていくように努力しています.

浦田:Assistant Profesoorが博士課程学生と一緒にやっているのも新鮮でした。
リーズはプロジェクト単位。研究の進め方の仕組みのバリエーションの理解が進
んだ.国内学会は、行動モデル夏の学校はネットワーク系で人間関係が拡がって、
いろんな研究者からコメントももらえるようになった。国内学会は、研究を面白
くするコメントを出せないと、自分の課題ですね。秋はいいですけど,都市計画
学会も発表時間は短くて。なんとなく入りずらい感じです。

羽藤:震災は何か考えましたか?

浦田:修論の後に震災が起きて、調査は1年半年後に僕も参加して社会人だった
んですが、研究室全体で被災地に入って行いました。自分が、研究して、早く避
難することを、どう社会実装するかは、これから考えて形にしていかなきゃいけ
ないと強く思っています。当時起きた当時は、修論終わっていましたが、知識が
なくて何も生かせていないし、生かすことができなかった。今もまだまだです.
だけど,この研究をしたっていうためには、そこまでやんないといけない。自分
でしかできないこと、オリジナリティでもある。結び付けたいと思っています。
今地域で起こっているのは、避難だけではなく、高齢化とか空き家の問題もある。
博士をとったことで、20年で考えていかないといけない、いろんなところでと思っ
ています。

羽藤:研究なんて震災のときに何も役に立たなかったと言う人はいる.でも一見
役に立ったように見えた復興だって,それはよりよい理解に根ざしたものでなけ
れば,どこかで限界にぶつかってしまうのだろうと思います.そういう一見する
と見えないこと,誰も手にとらないようなことかもしれないけれど大切なことが
あって,遠く向かって,予見できることが研究のいいところだと思う.今後は?

浦田:9月からはデルフト工科大の災害グループで研究することになっています。
D1入りたてのとき、レビューしたのがPelのD論で、災害系でちゃんと考えている
人が少ないんですが,目的関数が見極めのポイントだとだんだんわかってきた.
エリア分割やってるEPGのPeterとPelがしっかりしている。それに気づいた後,
偶然チリであって、まあ海外に行くかと。


羽藤:武者修行だな,最後に一言どうぞ.

浦田:修士までやって、3年間働いた.博士論文をやると、修士より勉強に専念
する時間が長い。進まない時間もあるけど、だんだん出来ることが増えて、物の
見方は広がる。一方社会人になると一旦社会に出て、その場のアウトプットは増
えるんだけど,インプットがなくなって、会社にならされていく。それをどう感
じるか、どう考えるかではないでしょうか.自分がやりたいことを発信できなく
なる。そうすると本当の意味で新しいこと,面白いことはができなくなる。それ
が8年間,まわりの人をみながら感じたことです。研究者はインプットしないと
いけない職業だと思う。できる力はあるといわれるので、それを発信して、新し
いもの、いいものを考えて実現していくようになってくれるといいなと思います.
僕自身もですが。長い時間,本当にありがとうございました。


▲ しまなみはいい場所です.