2013年の研究座談会

建築家が研究するということ

國分昭子



羽藤:博士論文ごくろうさまでした.現場でコーポラ設計しながらよく書きあげ
たと内心思ってたんだけど(笑),実際はどでしたかね.

國分:終わってみて,今の力量だとここまでしかできないかなって感じです(笑).
ほんとはもっとやりたい,自分はできるというのはあったんだけど,時間,知力,
体力,いろいろ考えて,一旦まとめてみようと思いました.今年に入って最後ま
で計算してみたものの,改めて何を伝えたかったかと副査の先生方から突き付け
られている気がして,納得いく仕上がりではなかったんだけど,そこが大変だっ
たように思います.

羽藤:ラフなものでも一旦まとめて結晶化させることで,そこからさきにいける
というのはありますよね.建築も実践ばかりだと,俯瞰的にみる機会がないとい
うこともあるし.

國分:単発の建築の仕事はそれはそれで面白い.研究だって,計算,式の選択,
対象の選定,いろいろ無限に研究可能性はあるんだけど,もともと何をやろうと
していたのか,そこに立ち返って考えようと,3年でまとめることにした,とい
う感じでした.

羽藤:郊外と都心の間の東京の住宅地の生活景の変化を敷地変容メカニズムから
明らかにしようとして取り組んできたわけだけど,博士論文をとろうと思ったき
っかけは何ですかね.

國分:まち大に入ったのは,建築の仕事を10年以上やってきて,本郷から槇さ
んの組織事務所を独立して,自分でやるようになって,比較的大きな仕事に関わ
ってみて,一個一個の建築が町を変えてくんだという感覚がだんだんわかってき
た.空間にも,使う人にも,そいう力が作用する.それが実感として,具体的に
は,自分が手がけた広尾の日赤病院の前のコーポラであったんですよね.プログ
ラムは,広尾という場所で,今ならそうかなと思うようなものなんだけど,私が
関わってそのコーポラが出来て,確かに町が変わったと感じました.

一方で,個々の建築の可能性について,建築家は殆ど言及しない.それは外観が
建築の主要なテーマで,外から見てこういうものがあるということに職能の主眼
が置かれているからだと思います.槇さんは,住宅は建築家がやるものではない
という.使う人が限られているから,よいものであるということが外に伝わらな
いということです.でも1戸,2戸とそいう家を積み重ねてつくっていって,人
々が移り住んで終わりではなくて,綿々とそれが続いていく.男の子が生まれて,
夫婦の生活が変わって,外と内,両方の作用が町をつくっているんだという,そ
ういう肌感覚があった.

建築というデザインをコーポラという小さなスケールで感じられたことは私にとっ
ては,大きかったんです.関係性の調整という部分でいい職能が今はないから,
外は建築家,では内は?あるいは調整は?となる.私は内や外と内の関係性をど
う捉えるかについて関心があった.勉強不足を感じてもいたけれど,同時に生活
人としてやってきたことを含めて言えること,やれることはあるのではないかと
も思っていた.だから建築家としてではなく,まち大に行ってみようと思った.
でも実際にまち大に入って,研究発表すると,まちが変化していくという私なり
の空間の捉え方が,何でそんなつまんないことと言われてしまって.


▲広尾の建築作品(町に対して建築の働きかけがあることに気づきました)

羽藤:建築や都市を動的な生活風景の変化の中で捉えるとということに対して,
空間を静的なものと捉えがちだということもあって,敷地の外の問題,特にそ
の相互作用を考えてデザインをするみたいな感覚が研究者の側に確かに乏しい
のかもしれない.

國分:実務系の人だと実感はわかる.わかるんだけど,それで何ができる?とい
う話になるんですよね.そこで都市生活学研究室という名前に惹かれて(笑),
そいうことが本当にやりたいと,人にきちんと説明できることが整理できるステッ
プが自分には必要じゃないかと思ったんです.

羽藤:建築家が住宅をやっていくというのは普通のスタートだと思うんですよね.
身近な皮膚感覚から出発して,現場で感じたプライベートな感覚を,パブリック
なものにしていこうとするのは,すごくよくわかる.その個人的な感覚がどれほ
ど確かなものなのか,本当にパブリックなものにしていけるのか敷衍しているか,
研究として世に改めて問いたいというのはわかる気がします.

國分:今私は学童を英会話とセットにするような建築だったり,小規模保育なん
かも手掛けています.そいうとき,子育て経験がある,建築学会賞をもらったと
かそいう話ではなくて,建築には関係ないけれど私にはちゃんとした生活体験が
ある.それが下敷きになって,必然性からこうなって,こうつながると社会のス
キームを組み立てていけると思うんですよ.仕事をしっかりと生活体験から理由
づけできるといってもいいかもしれません.社会の意欲の理由づけとその意欲を
空間に着地させることができる.建築家が看板を掲げているだけだと限界がある
から.自分の中で,そこをきっちり作りたかったんです.だから,プロフェッサ
ーアーキテクトというのとはちょっと違うかもしれません.

羽藤:エライ人みたいな主体性を押し出して建築をつくることを正当化したり,
WSなんかの手続きで作品を意味づけしたりするのではない,空間そのものの理
由を一つ一つ問いかけて,そのデザインの意味を組み立てていく.その範囲を建
築の敷地の外,外と内の関係性に拡げて,誠実に捉えな直したいというのはわか
ります.博士論文で何が難しかったですかね.

國分:実はできるだろうと軽い気持ちではじめたんですが,やってみるとすごく
大変でした.福山さんともよく話すんだけど,女の子は,自分探しが好きなので.
こういう講座にいってみて,何が役に立たなかったとか.そいうのは日常茶飯事
なんですが,中でも羽藤先生の生活研は一番大変だった(笑).ちゃんと伝えた
いというのはあるんですよ,建築実務をやってきたから.でも計算とか知らない
ので(笑),Rのインストールから始まって,地道な作業は好きなのでいいんで
すけど,までも,やったらある程度のことは出来た(笑,それはよかったな.

副査をお願いした大野先生は建築家は感覚でわかると言ってたんだけど,私は感
覚をちゃんと事実だとしたらどれくらい確かな事実なのかが表現したかった.結
果は出ると思っていた,だけどその事実がどこにつながるのかが知りたかった.
数学は苦手です.でも,論文は読めばわかる.プログラムが書ければ,もっとで
きる.と思うんだけど.実はそこがしんどかった(笑.


▲ 博士論文では住区の生活景にこだわりました.

羽藤:難しそうな疑似最尤推定や住区変容シミュレーションなんかも学生さん同
士の助け合いがあったにしても,サクサクこなしてたように見えたけど.海外Journal
や審査付論文もacceptされていますし.研究対象では悩まなかったってことです
かね.

國分:研究対象をちゃんと表現したい,明らかにしたい,そいうことは自分は既
に持っている.だから苦労はしなかった.スケールの問題や説明変数は,いくら
とりあげても表面的になってしまう,だから,本当はもっと生活者意識をどっぷ
りつなげて,濃密なものにしてもよかったかなと思う.都市のよさは,いろんな
人がいろんな重ね合わせで生まれるものだから.住区シミュレーションだって,
固定メンバーじゃダメで,新陳代謝が必要ですよね.で,それが次のケミストリ
ーを生むと思うんですよね.ばらばらと生じる化学作用は,一平面で起きるもの
ではなく,時間も空間も複雑にからみあって起こる.敷地に外から何かが入って
くるというのがポイントです.で,それは建て替えだと私は思っている.で,本
当は建て替えだけはない.というのもそれは外の話だから,中のリノベも重要だ
と思っていて,たとえば不便だから中を直す,直すとしたらその中は変化は都心
の機能の一つだと思うんですよね.そういうことを考えたかった.

羽藤:土地と建築のくりこみ構造が生活のリズムに影響を与えてそれが生活景を
つくっている.税制や土地制度の問題もあるけど,確かにデザインが連鎖する,
布石をうっているという感覚はわかります.これからはどうしたいですか.

國分:研究を続ける環境にないんですよね(笑).お金は必要だし.とっかかり
がない.何か考えないといけない.科研費とかもそうなんだけど.デッドライン
オリエンテッドなもんで(笑.までも,プロジェクトと研究と仕事,この3本は
違う.それぞれに対していい働きが,ピースがうまると,声かけてもらえると嬉
しいなと思う.

羽藤:都市や建築分野の仕事って,コミュニティ,公共,市場,個人といろんな
レベルの仕事がありますよね.求められる専門性の強度も役割も違う.そんな中
で,自分の得意なものを,発展的なチームに受け入れてもらって,そこに投入し
ていくのはもちろんだけど,継続的に成果を出していけるかについては,受け手
の問題もある.大学に実践を持ちこむと理論の精度が下がったり,その逆もある.
WSばかりやられても困るだろうし.都市計画との接続も必要だよね.

國分:建築を仕事でやる以上,若いうちはある程度エネルギーをかければ出来あ
がる可能性は高いんですよ.でも年齢を経ると,技術的に経験を踏まえたコミッ
トが必要になる.責任が関わっているということです.そううものが大学でやる
プロジェクトでは欠如してしまいがちです.ひとつの地域でずっと継続していか
ないと,深みは出てこないのではないでしょうか.

羽藤:10年かけて設計も何もしていないで通い続けてるだけのプロジェクトがあ
って,集落の人もみんな顔見知りで,いろんなことがだんだん時間をかけてわか
ってくる.ビッグデータでわかることも勿論あるんだけど,愚鈍な方法に見える
かもしんないけど,理解にかける時間って大切だと思う.学生時代は國分さんは
どんな学生だったの?

國分:ただのミーハーでした(笑).何も考えずに槇さんです.やれば何でもで
きた.体力あるし.でも,それじゃダメな時がある.最初はちやほやされていた.
自信もあった.仕事が減ってきて,だけど,そこから,粘って転じて,生活に対
する美意識が大切というのはある.うまく言えないんですけど.

羽藤:生活の中にあるいろんな感覚って大切だと思う.じゃがいもの泥を洗って
皮むいて,玉ねぎをみじん切りにして料理をつくって,調理されたものがテーブ
ルの上に乗っかって.で,おいしく時間をかけて食べる.その野菜はどこでとれ
て,いくらで売られていて,料理も面倒なんだけど,うまく時間をつかって,み
たいな感覚は,生活から切り離された場所,安全が確保された場所から放たれる
カッコいいけど無責任な言葉の脆弱さとは対照的だと思います.


▲博士論文執筆中に手掛けた南青山のコーポラティブハウス
(共有スペースや各住戸の生活空間のボリュームと光のとりいれかたを工夫しました)

國分:たとえば留学するにしても,留学費も宿舎もぜんぶ会社もち.それはそれ
でいいんだけど,やっぱりどこかが違うのではないかと思う.自分でまず努力す
る,自分で兎に角やってみる.生活の中で少しづつ目標をつくって,暮らしの質
を高めていく.私が設計した建築だってメディアは一面を切り出すんだけど.毎
日ご飯をつくって,その中で空間の価値は顕れると思うんですよね.

羽藤:都市生活学って吉阪さんの影響を受けたこともあるんだけど,総体として
の暮らしに働きかける空間計画やデザイン,そのための基礎理論を考えたいと思っ
たんだよね.建築や土木,都市計画やデザインがもっている生活に対する働きか
けの無自覚さが気になってて地味なのはわかってるんだけど(笑).専門家の社
会との距離感についてはどうですかね.

國分:修了式の挨拶で,専門性の自己研鑽と専門外に対する謙虚さが大切だと思
うという話があった.私は結局母親目線なんですかね(笑).娘に何を話すべき
かと考えると,決めつけではダメで.何でそう思うのか,理由はなんなのか.そ
ういう話し方をしないといけない.生活の中で,自然とそういう感じ方をするよ
うになった.そいう姿勢で世界を眺めているのだと思います.

羽藤:最後に一言どうぞ.
國分:ここのところ,改めて思うのですが,研究室構成員として改めて研究室を
眺めると,たいへんなことは確かに多いのかもしれないけれど,生活研の研究量
やそこから生まれているイメージ,研究テーマのベクトルの多様さが,これくら
いの規模の研究室で今更ながら維持できているのが信じられないです(笑.私が
研究室に入ってからだけでもメンバーが何人も入れ替わっていても,それでも今
まで以上に成果が出し続けている.人体と同じ(笑.新陳代謝がすごいなと思い
ます.本当にありがとうございました.